国立特別支援教育総合研究所の主催する専門研究の、年度末のまとめとして、東京のサテライト研究室に集まって会議を行いました。東北関東大震災の影響で東京都内も計画停電が行われる中、全国各地から集まった研究協力者たち。一人一人が今年度の実践をまとめて報告をしあいました。かく言う私も昨夜、というよりも今朝未明、報告文書を作成して会場へ。新しい取り組みをやって、自信満々に会場へ入ったところまでは良かったのですが、会場でたくさんの報告を聞いているうちに「本当に自分の実践は正しいのだろうか?」という疑問に襲われてしまいました。研究協力者の先生方もいろいろな理解啓発活動を実践してみえます。そして、理解啓発は「伸るか反るか」の、いわば「両刃の剣」。今年度はほぼすべてうまくいったけれど、次年度は必ずしも成功するとは限らない訳です。そして大事なことは「障害の理解」をどこまで理解させるのかということ。低学年と高学年では理解してもらいたい内容が違うわけです。それをどの程度網羅するのかということを突っ込まれてしまいました。それだけではありません。障害があるから大変なのか?そうではありません。そのことを誤って理解されることで「障害があるからかわいそう、出来なくても仕方がない」などの感情がでてくることも有りうるのです。差別につながる発言が現れてくることが一番つらいのです。だから、理解啓発授業は慎重に取り組まなければならないのだということを思い知らされました。少しくらいうまくいったからといって、浮かれていてはいけないのだということを痛感させられた会議でした。
が、ここで持論ですが、私は同情から始まる障害理解も有りだと思うのです。もしも小さな子供が車いすの身体障害者に対して「足が動かないの?かわいそうだね。車いすを押してあげるね!」と言ったらあなたは怒りますか?「優しい子だねぇ。ありがとう。」とまずは誉めてあげるでしょう?もう少し大きくなって、理解可能な年にならなければ怒ったりせずに誉めてあげるはずです。それは「優しい心」を育てることの方が先だと考えるからでしょう。少なくとも私はそう考えます。大人になれば同情と障害理解の差が何なのか、分かる時が来るでしょう。それまでは優しい心を優先したいものです。もちろん、小学校の高学年には正しいことを理解してほしいですけどね。理解するタイミングは人それぞれ。一番良い時期に覚えてくれればそれでOKです。
東京からの帰りの新幹線にて。
が、ここで持論ですが、私は同情から始まる障害理解も有りだと思うのです。もしも小さな子供が車いすの身体障害者に対して「足が動かないの?かわいそうだね。車いすを押してあげるね!」と言ったらあなたは怒りますか?「優しい子だねぇ。ありがとう。」とまずは誉めてあげるでしょう?もう少し大きくなって、理解可能な年にならなければ怒ったりせずに誉めてあげるはずです。それは「優しい心」を育てることの方が先だと考えるからでしょう。少なくとも私はそう考えます。大人になれば同情と障害理解の差が何なのか、分かる時が来るでしょう。それまでは優しい心を優先したいものです。もちろん、小学校の高学年には正しいことを理解してほしいですけどね。理解するタイミングは人それぞれ。一番良い時期に覚えてくれればそれでOKです。
東京からの帰りの新幹線にて。
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