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<ブログ掲載1000回記念・北タイ陶磁特集>サンカンペーン印花双魚文の系譜#1

2018-03-27 07:49:42 | サンカンペーン陶磁

先に『双魚文考』として似たような記事をUP Dateしており、今回と重なる部分が多々存在することをお許し願いたい。

印花文に限らず鉄絵も含めて、中世の北タイ陶磁に、双魚文が装飾文様として多用されているのは、中国と云うより西方の匂い、印度古来の黄道十二宮の一つである双魚宮や仏足石の双魚相から来るものであろう・・・と。つまりヒンズー教や仏教など西方由来の土壌からくるものとの想いを強く抱いていたが、長年の資料収集や種々の情報から、多少なりとも修正を迫られている。

巷間、サンカンペーン印花双魚文は、龍泉窯の青磁貼花双魚文の影響を受けているとする説が大勢を占める。バンコク大学ランシット・キャンパスに在る東南アジア陶磁館では、写真のように双方の盤を比較展示している。

これを見ていると成程との印象を受けるが、一方で其れほど単純なものでは無かろうとの印象も湧く。

ここで系譜としているが、集めた資料によると辿れるのはやはり中国である。先ず考察は、脇道から進めていくこととする。安南を含む東南アジアの青磁は、龍泉や景徳鎮の影響ばかりではなく、なぜか同安窯の翳を見るとの想い(内容・省略)を持っている。過日、沖縄県今帰仁村教育委員会・宮城弘樹氏の論文を見ていると、所謂同安窯系青磁として、福建省庄辺窯の青磁碗に、花の印花文を見ることができるとの報告である。それは魚文ではないものの、同安窯に印花文が存在する証で、同安窯および同安窯系は、その特徴である櫛歯刻文(猫掻き手)ばかりと思っていたが、そうでもなさそうである。

「中国の陶磁器ゼミナール」とのHPが存在する。その第3回講義「宋・遼・金時代(960~1260)の陶磁器」・同安窯に、“猫掻き手:外面に櫛目による線状文、内面に箆による劃花文の中に櫛による地文を多用。鹿・鳥・双魚などの印花を、見込みに入れることもある”・・・とある。これは出典が曖昧で真偽のほどは確かでないが、HPに掲載されるからには、事実であろうと捉えることにした。してみると当該ブロガーが過去に掲載した記事で、パヤオから出土した同安窯・青磁印花双魚文盤片の信憑性を補完してくれそうである。その掲載書籍「เครื่องถ้วย พะเยา」つまり『陶磁器・パヤオ(タイ語版)』には、盤片の写真と共に、同安窯の盤片と解説されている。この書籍を見たとき、ホンマかいな・・・との想いであったが、宮城弘樹氏・論文とHP「中国の陶磁器ゼミナール」の双方を見ると信憑性はそれなりと認識している・・・とすれば巷間の通説である、龍泉窯の影響のみでは無いことになる。

更に、杜文著「耀州窯瓷」には、金時代の双魚文陶範の写真が掲載されている。面白いことにこの陶範は凹版で、これを用いる印花文様は貼花文の如く、貼り付けたように浮き上がって見える。まさにこの技法を用いた印花文が、先の『陶磁器・パヤオ(タイ語版)』に掲載されている。これを見ると龍泉窯や同安窯系のみならず、耀州窯からの流れも考慮に入れる必要がある。

それでは、これらの印花双魚文の経由地について、見てみることとする。鉄絵魚文や鉄絵双魚文のルーツとしては、安南経由の他に雲南経由についても考えられるが、雲南で印花双魚文が存在したとの報には接していない。では安南に印花双魚文が存在するのであろうか。

写真は町田市立博物館名品図録掲載の青磁蓮花双魚文鉢・14世紀・ベトナムである。2017年8月下旬の『東南アジア陶磁の名品展』で町田市立博物館へ行った際、見られるものと思っていたが、出品されておらず、図録でしか確認のしようがないが、見ると見込みの写真はなく、その一部が写っているのみである。図録解説によると、見込みに描かれた蓮花文と双魚文は、龍泉窯青磁に由来するのであろうが、器形や釉調は龍泉窯のものではなく、ベトナム流にアレンジされたものといえる・・・と解説されている。写真を見ると凸版であるが、文様の詳細は不詳である・・・残念。

                         <続く>

 


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