世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

秀峰大山

2016-12-26 06:30:35 | 日記
昨日、所用にて京都へ。米子自動車道溝口インター付近から大山を望む。快晴で頂上に雪を冠し、伯耆富士と呼ばれる姿を見せていた。
走行中に助手席から写したもので、画像の手前側が流れているがご容赦願いたい。


振り回されているワット・チェンセーンの仏塔

2016-12-22 09:37:20 | 古代と中世
今頃気づいたのでは遅いのだが、過去に読んだ東義国著「陶器講座13 クメール・安南・タイ」雄山閣刊に、ワット・チェンセーンの仏塔は、ミャンマーの古都・プロムに多いプロム様式であると記されている。

つい先年までは、そうとばかりに、サンカンペーン陶磁にはミャンマーの影響もあったか?・・・などと当該ブログにコメントなどを書き込んだりしていた。
最近、仏塔の様式を調べていると、Page269のプロム様式との記述に疑義が浮かんできた。また当該寺院から出土した碑文から氏は、サンカンペーン窯の開窯時期は15世紀末と記述されている。開窯時期は、最近の研究で200年遡ることが、ほぼ定説となっている。・・・と、このように情報の少ない中での著作は、苦労が多かったであろうと想定している。
そこで、プロム様式と記された仏塔の様式である。仏塔については素人であるので、誤ったことを記す危険性もあるが、その前提で読んで頂ければと思っている。
そこで、10年以上も前に写したワット・チェンセーンの仏塔を下に掲げておく。
この仏塔をプロム様式と表現されていることに、何の知識も持っておらず、疑義を感じていなかった。その期間は相当の長さであった。ところが最近ピュー王国のことを調べているとピュー(プロム)様式の仏塔は砲弾形であることが分かった。それが下の写真(グーグル・アースより)である。
最初の写真と比較し大きく異なる。従ってワット・チェンセーンの仏塔をプロム様式とは呼べないであろう。では何様式であるのか?・・・どうでも良いような設問であるが、ワット・チェンセーンを信仰する人々が、サンカンペーン窯業に従事したであろうことを考えれば、その作品に影響を与えた人々であり、その出自を考えるためにも重要である。
そこで、色々と調べてみた。まずワット・チェンセーンとあるからには、チェンセーンとの繋がりがあろうと考え、チェンセーンの街の仏塔を探してみた。下はワット・パサックの仏塔でシュリービジャヤ様式であるという。特徴は仏龕を有していることである。
ワット・チェンセーンの仏塔に仏龕はない。様式的には異なるようだ。そこで、更に調べる。
これはワット・ジェットヨートのランナー様式の仏塔である。似てきた感じだが、これには仏龕があるので、ワット・チェンセーンのそれとは少しことなる。
下写真は、スコータイのワット・チエディー・スーンの仏塔で、シュリービジャヤースコータイ様式と某HPに記されている。この様式の真偽のほどは分からないが、なんとなくワット・チェンセーンの仏塔に似ている。
ワット・チェンセーンと、このワット・チェディー・スンの仏塔には仏龕がない点で共通である。そこでワット・チェンセーンの仏塔がシュリービジャヤースコータイ様式であるとすれば、スコータイとシーサッチャナーライ陶磁がサンカンペーンへ影響を及ぼした、一つの根拠となる。但し結論を下すには早計で、継続した調査が必要であろう。
このワット・チェンセーンの碑文と仏塔には、まだまだ振り回されそうである。


愛知・南設楽:ヨコタ博物館#6(最終回)

2016-12-21 07:49:55 | 博物館・愛知県

<続き>

北タイ山岳民族の衣装が展示されている。その1部を紹介して最終回としたい。下の衣装はヤオ(瑶:ミェン)族女性の上着で、襟の赤色のマフラーが特徴である。

(ヤオ族女性上着)

 

(ヤオ族男性上着)

 

(ヤオ族男性上着)

 

(ヤオ族女性用後ろ掛け)

 

(モン(Hmong・苗)族男性衣装)

 

(モン族おんぶ布)

 

(アカ族上着)

 

(アカ族上着)

 

(アカ族被り物)

 

(ラフ族上着)

多くの衣装が展示されているが、この程度にしてヤオ族が信仰する道教神像を紹介する。

 

北ベトナムに居住するヤオ族もまた道教を信仰している。彼らは漢字の読み書きができ、中国文化を濃厚に引き継いでいる。
チェンマイ市内のギャラリーなどを覗くと、道教神を描いた今できの画布を展示・販売している。


                                  <了>


愛知・南設楽:ヨコタ博物館#5

2016-12-20 07:11:09 | 博物館・愛知県

<続き>

紀元前2000-1000年・先史時代のバンチェン土器の優品もコレクションされていた。しかも、それなりの数である。個人的には興味はなく、従って紹介するほどの知識をもっていないので、写真を貼りつけるのみであるが、お許し願いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直上の大壺の文様は、バンチェンでは代表的な文様であろう。このように様々な文様が丁寧に描かれており、どれも緩みがない。先史時代の人々にも美的感覚に優れた人々が存在した証である。
器は、壺が大半である。これは食べ物の貯蔵用途であったのであろう。穀物はあったのか、なかったのか?木の実や塩などの保存にも使われたのか?
ワイングラスのような土器もある。皿や鉢は見かけない・・・これはバナナの葉で代用したのか?いずれにしても紀元前2000-1000年頃の、先史時代人はグルメであったろうことを想像させる、展示であった。




                                  <続く>


愛知・南設楽:ヨコタ博物館#4

2016-12-19 07:33:23 | 博物館・愛知県

<続き>

前回、末尾に次回はスコータイ陶磁を紹介すると記していたが、シーサッチャナーライ陶磁の誤りである、お詫びして訂正しておく。但しヨコタ博物館ではサワンカロークと、キャップションに表示されている。

 

 

 

 

青磁合掌人物騎象壺で、薄い青磁釉の上に涙痕のような流痕をみる、それがひとつの景色となっている。シーサッチャナーライ陶は専門外なので、数多くは見ていないが、初見の壺である。

 

 

 

 

黒褐釉陶には、クメールとモン(MON)の翳を見るのだが、果たしてどうであろうか?




                                   <続く>