世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

愛知・南設楽:ヨコタ博物館#3

2016-12-17 09:12:33 | 博物館・愛知県

<続き>

無釉焼締めの四耳大壺が、13世紀・スコータイとキャップションにある。時代認識は置いておくとして、窯場はスコータイではなく、スパンブリーのバン・バンプーン窯と思われる。それは肩に巡る象文様の特徴から、そのように判断される。

 

下は、キャップションによると青磁釉刻文壺・スコータイ・13世紀頃とある。全体的な姿形は上掲のスパンブリー象文無釉壺に似ている。口縁はラッパ形に開くが、スパンブリーに比較しやや短頸である。胴は大きく膨らみ、胴裾に向かって大きく窄む姿は、双方同じである。

 

 

頸下から肩にかけて、四区に圏線文で区切られ、各々異なる刻文をみる。文様は異なるものの、シーサッチャナーライ61番窯博物館に、このような壺と思われる陶片が展示してある。それは写真と同様に肩に刻文が巡る、61番窯博物館はそれをモン陶としている。
・・・とすれば、写真のヨコタ博物館・青磁刻文壺はモン陶であろうか?モン(MON)陶=モン(MON)族については、学術的に証明はされていないが、イコールの図式が成立していると信じている者にとっては、骨董的にも資料的にも価値の高い壺である。
最初の無釉象文壺はスパンブリー産である。スパンブリーは古代のダヴァラバティーやロッブリー王国の故地で、モン族国家であった。その同族がシーサッチャナーライの最初期段階で焼成したと云えば、この両者の関係を都合よく説明できる・・・もう少し脇を固める必要があるが、蓋然性の高い話だと考えている。
以下、キャップションにスコータイと表示されている陶磁を紹介する。なかには明らかにシーサッチャナーライと思われる陶磁を、スコータイと表示してある事例があり、スコータイとして紹介するが、正否の自信はない。

 

 

次回はスコータイ陶磁を紹介する。




                                  <続く>


愛知・南設楽:ヨコタ博物館#2

2016-12-16 09:13:19 | 博物館・愛知県

<続き>

クメール陶の続きを紹介したい。クメール陶独特の蓋(これはシュメール山を現わすであろう)を持つ黄釉の水注で、キャップションによると7-8世紀とある。この時代観は1-2世紀早いと思われるが、クメール陶の最初期の焼物であろう。

 

黒褐釉波状文線刻壺で12世紀と記されている。この時代になると黒褐釉で彩られる焼物が主流となり、技術的には後退していく印象である。

 

(黄釉花弁線刻文壺・10世紀)

時代が古い焼物は、黒褐釉一辺倒ではなく、写真のような黄釉(灰釉)も存在している。

(黒褐釉人面壺・9世紀)

 

 

以上がクメール陶の展示であった。最近、クメール陶に関する図書や図録を目にするようになったが、いずれも日本人著者のものであった。過日、ブログ<の~んびりタイランド2>氏より、タイ芸術局発刊の英文書籍の主要部分を送付して頂いた。

そこには、ブリラムのクメール陶磁について簡潔にまとめられている。以下、字面ばかりで恐縮であるが、要点を紹介したい。

ブリラム県は、タイ王国の北東部の南半分に位置している。南はカンボジアと国境を接する。航空写真からバライと呼ばれる貯水池と一緒に、堀や煉瓦壁に囲まれた136の古い遺跡を認めることができる。
これらの遺跡はMun川とChi川の間に位置している。そしてすべての遺跡から施釉と無釉の陶片が発見された。それらの幾つかは、廃棄された陶片の厚い層を有していた。ブリラム県内のすべての郡に、これらの遺跡が在ることから、スコータイと同じように遺跡に窯があったことを表している。
しかしながら、発見後の研究からブリラム窯の方が、スコータイのそれよりも早い段階に栄えていたと推測される。
ブリラム県のKhok Lin Fa窯及び同県内の他窯を含めた考古学的発掘の結果、同じ時期に類似した焼物を焼成していることが分かった。窯の形状は楕円形(当該ブロガー注:調査報告にはオーバル形状とあるが、ナイジアン窯址を現認すると、角はやや丸みがあるが、長方形に近い)で、典型的なものは幅1.5m縦が15m程である。枠組みは竹で、そこに粘土を貼り付けてある。そのことは、竹の格子跡が残る焼成土の塊から想定され、それらの散乱物は県内の窯体のすべての現場で見つかっている。
ブリラムの窯形状は、サンカンペーンやウィアン・カロンと類似している(当該ブロガー注:サンカンペーンやカロンへ実際に出向き、ナイジアン窯と比較すると似て非なるものがある)。それらは粘土で築窯されており、スコータイやシーサッチャナーライの煉瓦構築窯とは異なる。
ブリラム窯の幾つかの興味ある特徴は、窯の支柱が2列で在る点で、それはBan Khok Yai窯(Non Chareurn副郡)、Ban Kruat郡そしてKhok Lin Fa窯(Baranae副郡)、Lahan Sai郡で見ることができる。それらは窯の屋根を支えるために建てられたものであろう。窯は3つの部分に分かれる。それはスパンブリー、サンカンペーンやスコータイと同じである。
 燃焼室は焼成室より一段低い
 焼成物を配置した焼成室
 排煙の煙突
窯は、南北軸に配置されている。これは多分、陶磁生産が乾季の北から南へ流れる風を利用するためであろう。窯址の陶片の散乱から分かることは、ブリラム県内では類似した陶器が生産されていたと思われる。
焼成に際しては、陶器の形状によって、窯内の配置場所が決まった。ボウルなどの容器と壺や瓶は、窯の高さにより振り分けられた。焼成物と焼成物の間には、小さな焼成具が置かれた。それらは現場から大量に発見されている。面白いことに重量物の陶器は、焼成床の上に配置された牛糞の上に載せて焼成された。
ブリラム県内の各窯址で見つかった中世に生産された陶磁の大部分は、多かれ少なかれ同じようなものである。それらには無釉陶だけではなく、施釉陶も含まれている。
実際には違いもある。時々、黒褐釉陶よりも緑釉陶(日本では何故か黄釉と呼ぶ灰釉陶のこと)が多く生産された時もあった。対照的に、幾つかの窯は施釉陶より無釉陶を中心に焼成した。しかしながら、すべての窯が同じような形状の品物を生産した。それは、カボチャや柿などの盒子、鳥の形をした盒子や小壺、そしてヤギ、馬、兎などの形をした置物である。

 

(当該ブロガー注:写真は、ワット・シーサワン境内の布袋像である。そこには周辺から出土した多数の陶片が貼り付けてある。黒褐釉だけではなく、黄色じみた褐色、灰色、青磁色などバラエティーに富んでいる。下写真の陶片は、ナイジアン窯址周辺で表採したものである。写真がやや暗く写っているが、右の2点は青磁以外の何物でもない。また左下は、日本で云う伊羅保釉のような発色であり、多様な発色を示している。)

書籍に戻る。更にケンディー、盤、鉢、鉢状の燭台、細長くて精巧な蓋付の水注、瓢箪型水注、高さが30-80cmで肩に装飾をもつ壺などである。
これらの中の幾つかの壺・瓶は、頸部に人面の装飾を持っている。他の壺・瓶は、象や馬の頭部が肩との間に装飾されている。人面や動物頭部の側面には、他の装飾を見ることができる。それは蓮弁、刻線、一重および二重の格子、ジグザグ(鋸歯)、波状の各文様、様々な円形モチーフ、櫛歯による文様である。
全てのモチーフの中で、最も興味深いのは、壺やケンディーの頸部に装飾された人面や象、馬の頭部の装飾である。それらは造形後、施釉され焼成された。

   ・・・以上である。


                                  <続く>


愛知・南設楽:ヨコタ博物館#1

2016-12-15 08:13:33 | 博物館・愛知県

ヨコタ博物館へは予てより、一度は行ってみたいと思っていたが、その機会に恵まれなかった。今般、富山市佐藤記念美術館の帰途に立ち寄ることにした。

ヨコタ博物館のHPを見ても、民族関係の展示物が中心で、中世の古陶磁の蔵品は少ないようで、あまり期待していなかった。ところが結果は予想に反して、満足感すら漂う望外の結果であった。とくにクメール陶磁のコレクションが優れている。写真撮影OKであったので、以下紹介したい。

(黒褐釉象頭壺)

 

(黒褐釉象形盤口壺)

 

(黒褐釉線刻文大壺)

 

(黒褐釉瘤牛肖形)

 

 

(黒褐釉兎形小壺2点)

 

(黒褐釉線刻文盤口壺)

 

(黒褐釉水注)

 

(黒褐釉人面合掌壺)


クメール陶の残りは次回紹介したい。今回の紹介は黒褐釉の陶磁であったが、御覧のように様々な黒褐釉が存在し、釉薬の剥離が激しいもの、馴染んで剥離もなく艶があるもの、艶消しのような釉薬等々が観てとれる。
これらは窯によって、あるいは陶工によって異なるとも考えるが、相当の時間的間隔も感じる。
クメール陶にも多くの動物肖形が存在するが、瘤牛の肖形には驚かされた。これは北タイ陶磁で、それなりの量が出土し、特にランパーンのバン・タオハイ古窯出土の瘤牛肖形と極似している。この両者の間には何があるのか?


                                  <続く>


敢木丁コレクション受贈記念展・富山市佐藤記念美術館#2

2016-12-14 08:17:01 | 博物館・富山県

<続き>

敢木丁(カムラテン)コレクションにおけるサンカンペーン陶磁で、最も優れていいるのは、図録番号67の鉄絵草魚文盤である。図録に寸法は記載されていないが、径は22-23cm程度の比較的小型の盤である。下の写真はその鉄絵草魚文盤であるが、この写真は京都・東南アジア陶磁館で頂いた自家本図録より転載したものである。

見込み中央に顔面が下向きで、鱗の代わりに草花文が魚体に描かれている。カベットには右向きの魚が三匹描かれている。この盤を見せられた時は、さすがに驚いた。初見はさることながら、デザインのアイデアに驚いたものである。サンカンペーン盤の五指の一つである。

 

上に掲げた2点の盤の双魚文はサンカンペーンでは一般的なデザインである。直上の魚文のように頭部を塗りつぶした盤も多々みる。

これもびっくりした盤である。あまりにも稚拙な運筆で後絵を疑ってみたが、そうでもなさそうである。これも印象に残っている。

 

 

これらの文様は、幾何学的な文様であるが、サンカンペーンでは好んで描かれた文様で、それなりの数量が残存している。

個人的には日輪を表していると理解しているが、この手の印花文はサンカンペーンでよく見る文様である。

この印花双魚文盤は、サンカンペーンの特徴をいかんなく発揮している。油を弾いたような表情をみせる褐釉は、サンカンペーンの最大特徴の一つである。

白化粧後箆のような道具で、カベットに縦筋をつけ、白化粧を掻きとったのちに焼成したものである。これもサンカンペーンの盤の装飾技法のひとつである。



                                     <了>


敢木丁コレクション受贈記念展・富山市佐藤記念美術館#1

2016-12-14 07:08:17 | 博物館・富山県

過日、富山市佐藤記念美術館にて、敢木丁(カムラテン)コレクション受贈記念展を観覧した。当該コレクションは京都・東南アジア陶磁館の旧蔵品で、特に今回の記念展で多くの出品があったクメール陶が著名である。

 

残念ながら写真撮影禁止であった。前置が長いが、京都・東南アジア陶磁館の館長兼コレクションオーナーから、クメール陶の図録を頂戴しており、転用の許可を頂いているが、今回は遠慮しておく。
今回の出品リストと記念展開催のパンフレットを下に掲げておく。特に上写真の象形壺は灰釉に褐彩で、釉薬の発色もよく且つ傷もない完品で秀逸である。

 

 

 

クメール陶については、37点展示されているが、これはコレクションの一部で、その全貌は下の図録で見ることができる。

と云うことで、まともな展示品の紹介にはならなかった点お許し願いたい。サンカンペーン陶磁は、僅か2点の紹介のみであったが、過去に京都・東南アジア陶磁館でサンカンペーン陶磁盤を全て見ることができた。残念ながら記憶媒体をミスで消去してしまったが、館長より図録を頂戴している。その図録の転載許可を頂いているので、次回それを紹介する。




                                   <続く>