世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

シリーズ⑭:サワン・ウォラナヨック国立博物館#2

2016-11-25 08:22:18 | 博物館・タイ
<続き>

先ずシーサッチャナーライ陶の盤類を中心に順不同で紹介する。従って青磁と鉄絵を区分しているわけではないことを了承ねがいたい。





下はシーサッチャナーライの褐色釉の蓋物で、う~ん、安南陶磁と何が異なるのか?
以上、シーサッチャナーライ陶磁を中心に紹介してきた。実にバラバラの展示であるが故に、どのような器種が生産されていたか、かえってよく分る展示であった。下写真の陶磁はスコータイ陶磁中心の展示である。

次回は寺院装飾に用いられたナーガ、マカラ、シンハーの類を紹介する。




                                   <続く>


シリーズ⑭:サワン・ウォラナヨック国立博物館#1

2016-11-24 07:57:52 | 博物館・タイ
<続き>

所在地はサワンカローク市街で、ヨム川を挟んだ西側(右岸)に位置している。印象に残る建屋である。

シーサッチャナーライのバン・パヤン窯のジオラマとキャップションにある。ヨム河畔に築かれていた様子が分かる。北タイの窯に比較し大型の窯で、陶工が一人焼成室に入り、これから焼成しようとする品々を窯詰めしている。大型の品々を焼成できたことが理解できる。

耳付の焼締壺が2点展示されている。いずれもキャップションには、スコータイ様式と記されているので、スコータイかシーサッチャナーライで焼成されたものであるが、素人にはスパンブリーとの差異が判断できない。
シーサッチャナーライの最下層から出土するモン陶が4点展示されていた。左奥の盤の程度は良く、ポピュラーな装飾で時々目にすることができる。
何処から出土したのか?写真のようにブリラム陶(13-14世紀)が展示されていた。
シーサッチャナーライのツカタ窯で、焼成された人物肖形で実に多様である。
こちらは動物肖形で牛が多いようだ。人物肖形は頸が折られ、頭部だけになったものが沢山出土する。これらのことについては、精霊祭祀との関連で語られている。動物肖形も同じように、生贄の意味合いでピーに捧げられたであろうか?
キャップションによると、シーサッチャナーライの黒褐釉陶と記されていた。左奥の口縁がラッパ形に開く壺などは、説明がない限りクメール(ブリラム)陶にしか見えない。
展示品はシーサッチャナーライ陶がほとんどで、スコータイ陶は僅かの展示であった。上写真の魚文盤は、キャップションを見忘れしていたが、魚文の特徴からスコータイ陶であろうか?

シーサッチャナーライ陶磁の盤類は次回まとめて紹介する。




                                 <続く>







シリーズ⑬:ワット・トゥリアン&ワット・タオ・トゥリアン窯址

2016-11-23 07:46:30 | 窯址・タイ
<続き>

場所は、濠を挟んでワット・プラ・パーイ・ルアンの北で、タオ・トゥリアン窯址の東に位置する。

窯址は写真のように廃寺となっている、ワット・トゥリアンの一角に存在する。



カメラのバッテリーがあがり、ビデオ撮影した映像を使ったので、窯址画像の解像度が低いのを容赦願いたい。煉瓦構築で地上式の横焔式単室窯である。平面プランは楕円形である。
窯址周辺には多くの陶片が散乱していたが、目ぼしいものは収集されており、其の中で写真の陶片は比較的良かった。

青磁であるが、所謂青磁色ではなく、灰黄釉のように見える。鉄絵で碗か鉢の陶片と思われる。スコータイ陶としては、上出来の陶磁であったと思われる。まだまだ時間をかければ、もっと良さそうな陶片に巡り合えたであろう。




                                   <続く>


シリーズ⑫:トゥリアン窯址

2016-11-22 07:46:59 | 窯址・タイ
<続き>

先日、グーグルアースの衛星写真上に窯址位置をプロットしておいた。そこはワット・プラ・パーイ・ルアンを取り囲む濠の北西隅の対岸である。

どうやら22番窯と呼んでいるようだ。右の小屋掛けの下に横たわる窯体が見える。


煉瓦造りの横焔式単室窯であろうが、もう一つ窯構造が分かりにくい。ただ窯の高さは、目分量で1m以上である。これであれば、建築用の部材や同装飾物などの大型陶磁が焼成できたであろう。
窯の周囲に陶片が散乱していないか探すが、目ぼしい陶片は皆無と云ってよいほどである。小さな破片を3点収集した。

口縁に鉄彩で二重圏線を設けた青磁片と、無釉陶片2つである。多くの人々が訪れ採集しつくされたのか? タイ人はおおよそ陶片・破片などに、全く興味はない。では・・・なぜ?
以下、後日譚である。BKK大学付属東南アジア陶磁館が発行しているニュースレターの最新版によると、
タイ芸術局第6支所により、2016年4月から8月まで発掘調査が行われ、8月下旬に現地説明会が開催され、写真のMr. Thongchai Sakhoにより説明されている場面の写真が掲載されていた。
道理で陶片が無かった理由が理解できた。発掘調査の際にすべて収集されていたのだ。・・・と云うことで、個人的には、やや期待外れであった。




                                   <続く>


シリーズ⑪:スコータイ歴史公園

2016-11-21 09:24:50 | タイ王国
<続き>


スコータイ旧市街の寺院や窯址の位置関係をグーグルアースを借用して示す。このうちラームカムヘーン国立博物館は先日紹介した。窯址については、別途紹介するとして今回は、それ以外について紹介する。

●ワット・マハータート
ラームカムへン国立博物館の西側で、旧市街のほぼ中央に建つ王室寺院でワット・マハータートを紹介する。
スコータイで最も重要な王室寺院。増築と修復を繰り返したため、幾つかの様式が混在している。
スコータイ独自の様式である蓮の蕾と云われるチェディーを、スリランカの影響を受けた仏塔4基と、四隅にランナー様式の仏塔が取り囲んでいる。東西南北の交流点ならではか。
アユタヤ時代の仏立像と云われている。柱の上には屋根があったとされるが、現在はみられない。

●ワット・シーサワイ
次はワット・シーサワイでロッブリー様式(クメール支配下のロッブリーで、クメール様式の寺院が多数建立された)というかクメールのプラーン(塔堂)を持つ寺院である。
元々はヒンズー寺院として建立されたが、後に仏教寺院となった。ラテライト(紅土)と煉瓦、漆喰で浸食が激しい。
クメールのヒンズー寺院は、プラーンが三つ並立して建つ。これはヒンズーの3主神つまりブラフマー、ビシュヌ、シバを表し、三位一体を意味している。
上段部分の修復の漆喰が、如何にもそれらしく見える。もう少しそれなりにできないものか?

●ラームカムヘーン大王像
旧市街中央のラームカムヘーン大王像を見た。スコータイ朝第3代王で名君の誉れ高い王は、その碑文が著名である。またランナーのメンライ王、パヤオのガムムアン王と同盟を結んだと云われている。


●ワット・プラ・パーイ・ルアン
ワット・プラ・パーイ・ルアンは城壁の北側で、スコータイではワット・マハータートに次ぐ重要寺院と云われている。

元々3基のプラーンが存在したというが、現在みられるのは北側(上写真)の1基のみである。
後10年もすれば、漆喰の像や装飾は崩落するのではないか?既に仏陀の尊顔は失われている。しっかり保存して欲しいものである。

●ワット・サーシー
ラームカムへ-ン王像の西側、池に浮かぶ小島にある寺院で、チェディーは釣鐘形のスリランカ様式。

歴史公園見学が主目的ではないので、寺院巡りは以上で切り上げ、窯址を見ることにした。次回はワット・トゥリアン窯址を紹介したい。




                                   <続く>