世界の街角

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習近平は成吉思汗の再来か

2018-10-13 07:12:42 | 日記

引き続き”世界ふしぎ発見”の話しである。アク・ベシム遺跡は、かつてスイヤブ(素葉水城)と呼ばれていた都市で、2つの都市が隣り合っている中央アジアでも稀な遺跡である。西にはシルクロード交易の民であるソグド人が建設したとされる都市(第1シャフリスタン)が、東側には中国・唐が建設した砕葉鎮城(第2シャフリスタン)が位置している。

唐朝は、西突厥を占領し、西域に広大な領地を得た。その砕葉鎮城を西域支配の拠点としたのである。発掘調査をすると、三棟の建物跡が発掘され、数多く出土した瓦から「懐」と漢字が描かれた瓦片が出土した。まさに中国が造った瓦葺の建物であった。そこにはギリシャやローマのようなモザイクの敷石も発見されている。

そのアク・ベシム遺跡が、中国文献に登場する砕葉鎮城であることが明らかになったのは、「杜懐寶碑・とかいほうひ」と名付けられた石造の供養塔で在ったという。その復元予想図が放映されていた。

中国が自国の領土以外に食指を伸ばしたのは、大唐以前の前漢からである。武帝は大月氏へ張騫を派遣、衛生と霍去病は匈奴を破り、李広利は大宛国(中央アジア・フェルガナ)を征服、衛氏朝鮮を滅ぼし楽浪郡等の四郡を置き、南越を支配した。

チンギス・カン(成吉思汗)は漢族ではないが、モンゴルや中国を拠点に一大帝国をなした。習近平は、その再来であろう。歴史は繰り返す・・・教訓というか事実である。漢族の覇権主義が大きく頭をだしてきた。毛沢東の中国・共産は何ほどでもなかった。今日の覇権主義が堂々と手を振るようになった原点は、鄧小平の南巡講話からである。黒猫か白猫かは置いておくとして、豊かになれる処から豊かになればよいとして、広東から改革開放が始まった。毛沢東ほど小さな人物ではなく、余程の大人物であったであろう。それに悪乗りしているのが習近平である。

スリランカは中国の借金漬け、債券のかたに主要港湾の権益を奪われ、主要施設の権益も奪われた。中国の軍港化は時間の問題。一帯一路とは何だ、被害はスリランカのみならず、アフリカ諸国にも及ぶ、スリランカの二の舞・三の舞である。

中国は歴史上において海洋進出はなかったが、昨今南シナ海を自国の領海にしようとしている。地球上の物は全て中国のものとの認識である。中国が奢る原因の一端は日本とアメリカにある。鄧小平の南巡講話以降、日本は求めに応じ中国に企業進出した。そこで生産された工業製品はアメリカに輸出され、アメリカの富を奪ったのである。遅まきながら気が付いたのはトランプである。

(西沙諸島のウッディー島には3000m滑走路が築かれており、軍人軍属合わせて1500人が駐留するという)

中国とアメリカの覇権競争がスタートした。歴史は繰り返す。三次大戦にはならないであろうが、これから先30年は目が離せない。中国進出の日系企業で両足を突っ込んでいる会社は、足を洗う準備をはじめる必要があろう。それにしても南沙諸島や西沙諸島の中国軍事基地の機能を奪う方法を真剣に考えるべきである。

<了>

 


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