<続き>
<第3章 6世紀末の出雲西部の古墳>
6世紀末になると、今市大念寺古墳の南約1kmの処に径46mの円墳である上塩冶築山古墳が築造され、大小2つの家形石棺があり、2人が埋葬されたとしている。今回はその築山古墳出土品を紹介する。
先ず、図録の該当Pageから。
上塩冶築山古墳には2つの石棺が存在した。まずその1つの大石棺の被葬者である。
出土品からみると、金銀装円頭太刀をおび、銀装馬具装をつけた馬にまたがっていたという。それなりの権力者であったと思われる。
<続く>
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<第3章 6世紀末の出雲西部の古墳>
6世紀末になると、今市大念寺古墳の南約1kmの処に径46mの円墳である上塩冶築山古墳が築造され、大小2つの家形石棺があり、2人が埋葬されたとしている。今回はその築山古墳出土品を紹介する。
先ず、図録の該当Pageから。
上塩冶築山古墳には2つの石棺が存在した。まずその1つの大石棺の被葬者である。
出土品からみると、金銀装円頭太刀をおび、銀装馬具装をつけた馬にまたがっていたという。それなりの権力者であったと思われる。
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