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古代・北タイのウィアンノム・ロム

2021-10-24 08:11:49 | 北タイの風土・慣習

古代のウィアンノム・ロム

最近、タイ芸術局第7支所(在・チェンマイ)はSNS情報発信に熱心だ。どうも一時の気まぐれでもなさそうだ。

日本で云えば神代の時代の話であり、信憑性は?と思われるが、その第7支所の発掘情報と、出所は不明ながら(多分年代記類と思われるが)ヨンカナクファンの物語と発掘された仏教遺跡について述べられている。仏教遺跡とあるからには、早くても西暦5-6世紀以降の遺跡と考えられるが、年代については紹介していない。

ヨンカナクファンは、仏暦前148年から仏暦1088年(西暦5-6世紀)にかけての伝説的な都市で、人々の移動の痕跡と、チェンライ・平原で最も古い仏教遺跡の痕跡がある。
伝説によれば、シンガティ王子は移民と南東に向かい、ソラプ川を渡った平野にクニを起こした。学者や専門家の多くは、ヨンカナクファンが現在のチェンセーンの南西に在る大きな湿地帯であると主張している。ヨンカナクファンとは、「ウィアンノン・ロム(Wiang Nong Lom)」として知られている、チェンセーンの町の南西約14 kmにあるヨノク・チャンファ地区と重なる大きな湿地帯である。

中国のChung Yong Liang教授は、仏暦15世紀半ば中国南部からの移民によってチェンセーン平野に、ヨンカナクファン(中国の学者とタイの学者の年代観は大きく異なる。個人的には中国の学者云う年代観に近いと思われる)が形成されたと主張している。

ラニダ・ピンムアン助教(生物多様性センターチェンライラチャパット大学)は地元の歴史を調査し研究している。2009年にウィアンノン・ロム湿地の古代遺跡から、寺院の遺跡を含む34以上の遺跡が発見された。ウィアンノン・ロム地区の端と中央に点在している(エリアの真ん中の沼地、すなわちノンヤオとノンモンの周り)、そして地区の西側の山の頂上にある古代のモニュメント-クワンディン。

2009年、タイ芸術局第7支所はチェンライラチャパット大学と共同でウィアンノン・ロム地区の調査を実施した。そこから、さらに24の遺跡が発見された。最も密集して見つかった遺跡はTha Khao Phen副郡であった。この地域の自然水源であるノンルアン、ノンカコック、ノンクワン、ノンモン、ルア川に遺跡が点在している。エリアの端に点在するいくつかの遺跡もあった。

調査の結果、遺跡は現在の土壌表面より0.3〜0.5メートル深いことが判明した。そしてウィアンノン・ロム地区の中央部とその端にある古代のモニュメントのほとんどは、東西軸に沿って並んだチェディとヴィハーンタイプの宗教的な場所であることがわかった。

(出土品として銅鼓と青銅製仏像を紹介している。仏像にはタイの古文字・多分ユアン文字(間違っているかも)や占いの符も記されていることから、時代は意外に新しく12-13世紀頃か。いずれにしても専門家がみれば、一目瞭然であろう)

ヨンカナクファンについて注目する価値があるのは、伝説的な都市が生まれた時期である。シンガティ王子のチェンセーン盆地への入国は、仏陀の死の148年前に発生した。この時期は、社会開発がコミュニティ、村から都市化へとアップグレードし始めた重要な時期である。したがって、この伝説は中国南部からチェンセーン盆地への人々の移動を反映している可能性がある。このような関係を結びつける可能性のある考古学的証拠の1つは、青銅製の太鼓(銅鼓)の発見で、これは中国南部からメコン川に沿ってベトナムに広がった古代の遺物である。ウィアンノン・ロム地区にあるこの銅鼓は、ウィアンノン・ロム地区北西に位置する大きな沼から発見された。

概略以上であるが、シンガティ王子やヨンカナクファンの伝説(伝承)は、何に記載されているのか・・・について記述はない。浅学菲才の身でタイの年代記類はほとんど知らないので、シンガティ王子やヨンカナクファンも知らず、今回の第7支所のSNS情報で始めて知った次第である。銅鼓の古さは分かるにしても、仏暦前148年(仏暦元年は西暦紀元前543年)とはどこからでてきたのか。小生の知らない年代記類と思うが、それらは古くても西暦1200-1300年代の成立で、どこまで信憑性があるものか、記載されている内容の課題は多そうだが、銅鼓が出土していることから、古代にクニ(都市国家)が存在していたと思われる。この銅鼓について日本の考古学者に詳しい専門家が存在するが、ヘーガー何式でいつの時代のものか、当該ブロガーにはサッパリである。見るに銅鼓と仏像の時代観は異なるようである。

タイの歴史は面白い。どこまで史実か作り話か判然としない。史実であろうとされるのは、タイ族国家が成立したランナー王国やスコータイ王国からの時代であろう。時期にして13世紀から14世紀の時代である。この時代にチェンマイ年代記や、有名なラームカムヘーン王碑文が登場する。

面白いのは、その前の時代つまり12世紀以前の歴史である。これは漢籍に頼らざるを得ないが、漢籍は年代順に整然と記されてはいないので、不目な点が多い。それを補うのが考古学であるが、最近やたらチェンマイ第7支所が情報発信するようになった。今後に期待したい。

<了>



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