『逃げた慶喜兄弟』とは聞こえが良くないが、時代の趨勢としては致し方なかろう。チェンマイでの滞在中、司馬遼太郎氏の『花神』を数十年振りに読んでいる。その『中巻』に石州戦争のくだりがある。
十五代将軍・徳川慶喜は、水戸・斉昭と正室との間の七男、浜田藩主・松平武聡(たけあきら)は斉昭と側室の間の十男で、慶喜と武聡は兄弟となる。
『西郷どん』では、幕長戦争の石州口の戦いは、どのように活写されるのか知らないが、武聡は兄の慶喜同様に戦場から、さっさと逃げたのである・・・斉昭の血筋は無理難題から逃げようとするのか?
石州口の戦いは、慶応二年(1866)六月十六日に浜田藩領益田で開戦し、幕府方の浜田、福山藩兵の幕府軍は敗れた。その後長州軍は浜田城にせまる。
(CG復元浜田城)
<続く>
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