世界の街角

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逃げた慶喜兄弟・その2

2018-07-23 08:50:10 | 石見国

<続き>

兵力については諸説あるが、ここでは『花神』記述の兵力をそのまま記載する。

浜田城下、紀州二千の兵力、備後福山千六百、更なる後方には出雲・松江藩兵、因幡・鳥取藩兵が控えているが、この両藩に戦意はない。それに対し浜田藩は四~五百の兵を出すのがやっとであった。

浜田城下の攻防の前段として、浜田藩が大麻山に、福山藩はそのふもと雲雀山に陣を張った。更に松江藩兵もこの付近に布陣した。紀州は周布の鳶巣山に陣どり、総計五千にちかい。これに対し、益田付近にいる村田蔵六(大村益次郎)の兵力は七百であった。蔵六は『大麻山をおとせば、敵陣はくずれる』とみた。名主の屋敷に大砲を据え、そして攻略部隊を三つに分けた。敵陣は大麻山尊勝寺である。慶応二年七月十五日・夜明けに、砲撃と射撃を命じるとともに、長州兵が突撃した。大麻山は無血占領であった。尊勝寺の雲散霧消したのである。その後大麻山頂から見渡すと、足元の周布川周辺に紀州兵二千が布陣していた。浜田藩兵は潰乱したあと、福山・松江両藩のこもる雲雀山と、その付近の陣に逃げ込んで、陣容をたてなおしつつあった。

<続く>

 


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