世界の街角

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スリランカ見聞録(3)

2019-02-26 07:21:08 | 旅行

<続き>

4月13日

先ず仏歯寺(ダラダー・マールガーワ寺院)に出かけた。残念ながら先年LTTEのテロ攻撃に合い、寺院の一部が破壊され、その外部を修復中で外観を見ることはできなかった。

(出典:グーグルアース)

(出典:グーグルアース)

また仏歯寺はキャンディー湖畔に位置しており、その風景はなかなかのものである。標高は300mほどであろうか、日中は暑いもののコロンボに比較すれば、住み易い気候かと想像する。

写真の扉の奥に仏歯が納められているという。これは仏陀の犬歯といわれており、4世紀にインドのカリンガ国からもたらされたとのことである。当地は世界的に名高いペラペラ祭りが7月にあるという。一度観てみたいとも思うが、もう2度と訪れることはないかと思っている。

寺院内には沢山の仏像が並んでいる一画があった。そこには見慣れた仏像がならぶ、見るとタイのサンガから寄贈された仏像群である。今日、タイのサンガとスリランカ仏教サンガとは交流があるやに思えた。

ここ仏歯寺の付近がキャンディーの中心のようで、そこから南西郊外にあるペラデニア植物園への道沿いに、中国語の看板が出ておりびっくりした。さらに車窓から眺めたり、宝石店(スリランカはルビーやブルーサファイアの産地)へ寄った際に周囲を見回すと、東洋アンティークショップがあった。結局植物園に行くまでに3kmはあったであろうか、合わせて3軒程の東洋アンティークショップがあった。植物園の観光が目的であったことと、7名のグループであったために、これらの店に立寄ることはできなかったが、種々考えてみるにつけ、中国人のパワーは並大抵ではない。西岸のコロンボならまだしも、島の中央部であるキャンディーで生活しているのである。我々日本人には想像もつかない。

これらの中国人は、いつの時代に移り住んだのであろうか?まさか明の鄭和の時代でもあるまい。確かに鄭和は1410年に来島し、当時の王国は明の朝貢国となった。当時は島内に三国が鼎立しキャンディーを王都としたウダラタ王国(1474-1815)のほかに、コーッテ王国と北部のジャフナ王国があった。この時の中国人が出発点であるとすれば、既に土着化が進み漢字は忘れ去られているであろう。いずれにしても元や明の骨董品が交易によりもたらされ、これらの一部が店に並んでいるのであろう。このような空想をめぐらすのも楽しいものである。実際に覗いてこの地にもコピーが氾濫しておれば、この空想も台無しになる。

ペラデニア植物園についた。日立製作所のCMである「この木なんの木」の木がある。そのオリジナルはハワイのそれだが、ここの植物園もでかい。

双子椰子やカカオ、ナツメグなどの香辛料になる植物がスパイスガーデンとして一画に集められている。下から2番目の写真は確かナツメグだったと思うが自信はない。1番下の写真はカカオである。これらのスパイスめがけて中近東や欧州の国々が大航海以降おしかけた。

1815年、イギリス軍がキャンディーに入り、ついに王権は消滅した。したがって古い建物の多くが英国のスタイルである。このキャンディーは1週間程度は滞在したいとの欲望にかられた街である。

これらの見学を終えて、マイクロバスにてコロンボへ戻った。途中象サンクチュアリに立ち寄り、水浴びや訓練の様子をみた。いよいよ明日は帰国である。

<了>

 

 


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