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世界の街角

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苗族は鳥装の民?

2020-11-19 08:31:03 | 日本文化の源流

――荻原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』―― シリーズ(3)

荻原秀三郎氏は以下の如く記されている。“広西壮族自治区融水苗族自治県安太郷培地村の正月行事の打同年(タートンニェン)と呼ぶ祭りでは、芦笙柱を巡って芦笙舞・采堂(ツァイタン・苗語でカー・ツォ)が行われる。内まわりの男たちの芦笙には白いニワトリの羽やチガヤがさされ、菜堂を踊る外まわりの女たちは鳥の羽を象る衣装で身をかため、羽毛をいっぱいにつけて鳥装している。こうした鳥装の衣装を白鳥衣といって、貴州省東南部の円寨県・三都県を中心に、隣接する広西では北部の杆洞地域に多い習俗であるという。”

(安太郷元宝村の芦笙舞・芦笙の天辺には青々としたチガヤがさしてある  出典:ChinaNews(新華網))

(鳥の羽根で飾る衣装を着ける苗族女性・安太郷元宝村 出典:新華網)

つまり苗族は鳥装の民で、海洋民の助けをかりてゴンドラ風の船にのり、稲作を携え倭国へ渡海してきたと氏は記す。そして苗族の本貫は楚(更に云えば呉越の地であるとも)であると記されている。しかし、稲作民と漁民(海洋民)との関係は不明な点があると、大林太良氏①は指摘する。それは呉越(浙江)の稲作民と漁民との関係が、一体どうなのかまだわからないからであるとしておられる。

弥生期の稲吉角田遺跡から出土した土器片には、ゴンドラ風の舟にのり櫂を漕ぐ鳥装の人々が刻まれている。

(稲吉角田遺跡出土土器線刻絵画)

荻原秀三郎氏は、苗族と仮定しておられるが、果たしてどうであろうか? それを証明するには考古学上の出土品が必要であろう。しかし、魅力的な説であることは間違いない。

注)① 正月の来た道 大林太良著

 

<シリーズ(3)了>

 


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