ごく最近、安田喜憲教授著述の『稲作漁撈文明』なる著書を読んだ。広い視点からの著述で感銘を受けた。
世界の四大文明は『畑作牧畜民』の文明であるが、同じような時期に『稲作漁撈民』による『長江文明』が生まれ、更には同時期の縄文時代は『縄文文明』と呼ぶに相応しい文明であったと記されている。御陰で6度読み返すほどの著書である。今回を初回として不定期で連載したいと考えている。初回は「稲作漁撈民と玉琮」とのテーマで記述する。
稲作漁撈民と玉琮
玉琮(ぎょくそう)は丸と四角の結合からなる。漢の王劉安が編纂した『淮南子(えなんじ)』の天文訓には「丸は天といい、方は地という」と記されている。玉琮の丸と四角は天地の結合を意味していることになる。稲作漁撈民は天地の結合に豊穣を祈った。そして空にそびえる山は天地の架け橋であったのである。
(玉琮)
玉の側面に浮彫りで彫られている鳥の羽飾りをつけたシャーマンが虎の眼にさわっている神獣人面模様の意味も理解できた。鳥の羽飾りの帽子をなぜシャーマンはかぶっているのか、それは鳥が天地を往来することができるからである。
(シャーマン想定復元フィギア:於・唐古鍵考古学ミュージアム)
稲作漁撈民にとって玉は灌漑に必要な命の水の源である山のシンボルであった。緑色をしている玉が重要だった。緑の玉は命のシンボルで、おそらくその緑は森の緑、命の緑であったに違いない。
<続く>