<続き>
前回、荻原秀三郎氏によると、鳥居のルーツは朝鮮半島の鳥竿であり、その鳥竿のルーツを更に追うと、中国に行きつき、それが最終的にミャオ(苗)族の芦笙柱に繋がり、それには鳳凰に似た鳥がとまっている・・・と、記述されていることを紹介した。これに対し当該ブロガーは『柱(クニの柱、インターキンの柱)』と鳥居は別物の可能性が高いと指摘した。
荻原秀三郎氏指摘の芦笙柱に似た構造物が存在することを、過去に『日本すきま漫遊記』なるブログで知ることができた。ブロガーは若い人のようで、ミャンマー・カレン州のパアンに足しげく出張しておられるのか、それとも滞在中の方と思われる。そのブログを丹念に見ていると、先端に鳥が載る石柱の写真が掲載されていた。アショカ王柱に倣ったものなのか、それとも鳥竿か?
ブロガー氏によると、この鳥はオシドリ(ヒンダ)で釈迦の前世の生まれ変わりと記されている。ジャータカには釈迦の前世譚が記され、多くの鳥に生まれ変わった。生まれ変わった鳥は孔雀、雉、鵞鳥、鷲、鸚鵡、鵜、烏、キツツキとオシドリである。当該ブログでこの石柱の鳥を見たときは驚きを覚えた。寺院により1本の石柱と2本の石柱があったり、1本の石柱でありながら2羽の鳥が載っていたり単鳥もある。写真を掲載したいが無断と云う訳にいかないので、スケッチを掲げておく。
(向かって右がハムサ、左は孔雀であろう。この組み合わせにも何か意味があろうと考えるが、それを知る術が見当たらない)
中国深南部の少数民族や朝鮮半島の鳥竿のようにも見え、北タイの『クニの柱(サオ・インターキン、ラック・ムアンとも呼ぶ)』にも見える・・・まさにこれは何だと云う想いであるが、これはモン(MON)族の聖鳥・ハムサであろう。
ミャンマーのハムサワディー・ペグー朝(1287-1539年)の建国時の伝承によると、ペグーのヒンタゴンの丘に雌雄2羽のハムサが降り立った。そしてこの丘を中心にデルタが形成されたという、国土創生神話=建国神話が残されている・・・とすれば、スケッチの鳥が載る柱は、やはり『クニの柱』であろうと想像するが、情報が少なく確証はない。ビルマ族南下の様子とモン(MON)族について語る紙数はないが、『クニの柱』はヒマラヤ東南部から四川・雲南・インドシナ北部を発祥とする土俗・風俗であったろうという気がする・・・このことについては何の根拠もなく、当該ブロガーが勝手に考えたことの3つ目である。
<続く>