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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

松江・八重垣神社の山ノ神

2020-03-08 07:47:32 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

我が出雲国にも山ノ神が鎮座している。出雲国大草郷(さくさのさと:現・松江市佐草町)西側の旧街道沿いにあった山ノ神が、明治の頃八重垣神社境内に遷され末社として祀られている。

八重垣神社の由緒によれば、素戔嗚命が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、稲田姫を娶り大草郷に宮居を定めたのが、八重垣神社である。本殿は出雲に多い大社造りである。その噺は別の機会に譲るとして、今回は冒頭に記した山ノ神を紹介する。

鳥居の古様を示すであろう左右の柱に竹が横たわり、そこに注連縄が張ってある。祠の向かって右脇には「山神神社」とあり、向かって左手前には男根柱が立っている。これも山ノ神の依代に他ならない。

素戔嗚尊と稲田姫を祀っており、古くから夫婦和合・縁結びの神として信仰され、そこに同じ目的として山ノ神が祀られたものと考えられる。日本古来のアニミズムである。

<了>

 


梵釈寺裏の山ノ神

2020-03-06 07:35:07 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

滋賀県東近江市蒲生岡本町の梵釈寺裏に、山ノ神が鎮座するとのことで過日、出かけてみた。

梵釈寺の裏山入口にそれはあった。見ると左右の勧請木の間に勧請縄が掛けられていた形跡がある。その勧請縄が左右の勧請木に巻き付けられてる。

その奥に壇が設けられ雌雄二体の山ノ神が鎮座している。まるでアカ族の結界を果たす、村の門に在る雌雄二体の交合像の如くである。これも、う~んとうなった光景であった。

尚、山ノカミとは、春になると山ノカミが、山から降りてきて田ノカミとなり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山ノカミと田ノカミという2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰がある。

<了>

 


野洲市苗田神社の勧請縄

2020-03-05 08:32:37 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

野洲市小浜町の天満宮や八幡宮の近くに苗田神社の勧請縄があると云うので立ち寄ることにした。

あくまでも想像であるが、従前は鳥居の左右に立つ古木に勧請縄がかけられていたと思われる。現在は社殿に向かって右側の社碑(石柱)の下方に勧請縄が掛けられていた。

時代の経過と共に長い注連縄を綯うのが困難になってきたのであろうか。この種の風習が絶えないことを願うばかりである。

<了>

 


野洲市小浜町の勧請縄にビックラ仰天

2020-03-04 08:11:55 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

2月22日から26日にかけ4泊5日で南大阪、奈良、京都、滋賀に出掛けた。弥生遺跡や勧請縄・山の神を見たいがためである。形而上的なことについては、オツムが弱いせいか興味がないが、形而下的な肖形物には興味津々である。

今回、滋賀の野洲市小浜町で見た勧請縄は、ビックリで身震いするほどの感動を受けた。その小浜町は小さな集落であるが、西北の端に天満宮の勧請縄、東南の端に八幡宮の勧請縄が掛かっている。まさに集落の境を示す結界に他ならない。

先ず天満宮の勧請縄と八幡宮の勧請縄を順にご覧頂きたい。

天満宮・勧請縄の中央に竹の枌で網の目のように編んだ『鬼の眼』があるではないか。北タイでみるターレオ(鬼の眼)とそっくりである。次は八幡宮の勧請縄である。

鬼の眼の中には杉であろうか檜であろうか、その小枝がはさまれている。時間が経過し茶色がかっている。この勧請縄が架け替えられるのは毎年1月初めとのことである。

北タイで集落の出入り口に掛かるターレオ(鬼の眼)は、チェンマイ県オムコイ郡の山中でみた。そこはモン(Hmong)族集落の入口である。その集落へ行く途中に四駆のなかから写した写真が下で、残念ながら鬼の眼は写っていない。

鬼の眼の形もほぼ同じ、結界で異端者の侵入を見張る目的も双方同じである。これをどのように捉えればよいのか?・・・倭族と北タイ少数民族の根源(本貫)の地は隣接していたと考えられる。

<了>

 


桜井市谷の勧請縄

2020-02-26 06:10:09 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

桜井市の谷(東谷の交差点の南)に勧請縄が横たわっていた。集落の結界であろうが、都市化により境界であったかどうか判別しにくい。

旧道と思われる一角に地蔵堂と思われる堂宇あり。そこには、やはり境界を鎮護する双体道祖神が鎮座している。

勧請縄は金属ポールとポプラの勧請木の間に横たわり、中央には3本足の小勧請に小枝が結わえられている。

勧請木の根元には、稲藁、青竹御幣、小枝が荒縄で結わえられている。五穀豊穣祈願のためと考えられる。

近年の都市化により、周囲は360度見回しても家屋が立ち並んでいた。昔の集落の境界を示すものは、当該勧請縄だけであろう。

<了>