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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

北タイ少数民族の風俗#2

2015-08-05 10:13:21 | 東南アジア少数民族
高床式住居と土間式住居

 またまた字面が多く恐縮である。鳥越憲三郎著「古代中国と倭族」によると、倭族論を提唱した当初から苗(ミャオ:タイでモン(Hmong)尚、メオは蔑称)族を倭族に含めず、古くは黄河流域の部族で、それが倭族の領域に南下したという立場をとってきた。その理由は、苗族とその分派の猺(ヤオ)族が今では倭族の村々の間に住み、そして稲作農耕民となっているが、彼らの住居や習俗は基本的に倭族のものと異質なためである。その異質なものとして、彼らは古来の土間式住居で暮らし、炊事のかまども地面に設け、黄河文化圏の生活様式を伝統的に保持している。そして今でも共に盤古神話を伝え、それにちなんで陰暦七月初七日の盤古祭りをしている・・・とある。
 以下はバーン・トンルアンのモン族(上写真)とヤオ族(下写真)の住居で、何れも土間式住居である。モン族の住居は、はっきりそれと分かる写真では無く、ろうけつ染作業の老女の写真の後ろ側で、それと分かっていただけると思う。

 下は、おなじバーン・トンルアンのカレン族高床式住居である。違いを分かっていただけると考える。
 訪問時、モン族もヤオ族も室内を見る機会はなかった。従って盤古神を信仰しているかどうかは?である。
 下の写真はハノイ民族学博物館で見た、ヤオ族室内の盤古神の祠である。壁にかかるのは盤古神像である。かってチェンマイでも紙に描かれた、同じ神像をみたことがあるので、北タイのヤオ族もそうであろうと考える。
 鳥越憲三郎氏が云う、モン族、ヤオ族住居の特徴は理解いただけたと考える。ところが、荻原秀三郎著「稲と鳥と太陽の道」には、ミャオ族(モン族と同義)には、日本の社会文化によく似たものをもっている。稲を保存する高倉、高床式の住居、チガヤを稲に見立てる田植え・・・・。中国南部からタイ北部の少数民族をほぼすべて調査した結果、ミャオ族だけが入墨の習慣をもたないミャオ族が春秋戦国期の内乱に押し出されるようにして、山東半島や朝鮮半島をへて日本にやってきて稲作技術を伝えた・・・とある。
 この荻原秀三郎氏の説には納得し難い。魏志東夷伝倭人条には、「皆黥面分身」とある。さらに高床式住居とある。確かに貴州省の南部のミャオ族住居は高床式であるようだが、多くは先に紹介したように土間式住居である。残念ながら荻原秀三郎氏の説には疑問を感じている。つまりミャオ族は稲とともに日本へは来なかった。

北タイ少数民族の風俗#1

2015-08-04 09:33:06 | 東南アジア少数民族
左前と右前

 北タイの少数民族の風俗の一つに衣服の左前と右前がある。左前を「左衽」と云う。それは、衣服の右の襟や衽(おくみ)を、左の襟や衽の上に重ねて着ることである。
 漢族は、北方胡族の影響を受けて、古来「右衽:右前」であった。それに対し日本では古来左前であった。群馬県の古墳から人物埴輪が出土しているが、下の写真を見れば分かるが左前である。
 それでは、日本で男女ともに着物の着方が何故右前になったであろうか。「続日本紀」元正天皇の養老三年の条に、右衽にするよう布告されたとあり、それ以降のものと思われる。
 過日、チェンダオとメーリムの少数民族村を訪れた。そこで見た左前と右前である。下はヤオ族の男性であるが、写真のように上着は右前である。
 それに対し、苗(モン・Hmong)族は左前である。写真の女性では分かりにくいが、向こうのハンガーに掛る民族衣装は、明らかに左前である。
 漢族は右前であったことは先述した。蛮夷には右前でなく左前を強要したと、説く人がいるが果たしてどうであろうか。蛮夷であるヤオ族が右前で、モン族は左前であり、この説には多少?を感ずる。
 鳥越憲三郎氏はヤオ族は苗族の分派というが、その根拠は示されていない。分派とすれば、その最も基本であるはずの、服の着方が異なるのは何故であろうか?・・・この分派説にも疑問を感ずる。

Baan Tong Luangの少数民族村・スゴーカレン族

2015-08-01 07:45:36 | 東南アジア少数民族
 タイ北西部からミャンマー東南部に居住する。少数民族のなかでは最も人口が多く、両国合わせて400万人に達する、そして分派が多い。ここでは分派の一つスゴーカレン族で高床式住居に居住する。


 たまたま食事中であった。3人の女性が車座になって食事をしている。かって日本の田舎で見かけたような光景である。




チェンダオの少数民族村・ラフ族

2015-07-31 07:59:28 | 東南アジア少数民族
 コン・ムアン(北部の平地タイ族)の人々はラフ族のことを「ムスー」もしくは「ムソー」と呼ぶ。「狩人」の意味だという。しかし、彼らの自称はあくまで「ラフ」である。中国では主として雲南に居住する。
 ここチェンダオのラフ族村は高床式住居ではあるものの、住人は民族衣装ではなく、洋服である。生活スタイルはコン・ムアン化している。


 子供たちが何やらビー玉で遊びに興じていた。下の写真はウィキペディアに掲載されていた写真を借用した。民族衣装を着た少女であるが、黒を基調とした色彩のようである。




チェンダオの少数民族村・パローン族

2015-07-30 07:43:13 | 東南アジア少数民族
 写真の村の祖柱については先日紹介した。このパローン族村は、チェンダオの各民俗村の中でも古様を残していると感じた。女性は今様の服を着るのではなく、民族衣装を着用している。但し男性は例外なく、Tシャツにズボンである。


 中国では雲南・貴州に居住しデーアン族(徳昂族)と呼ばれている。住居は高床式である。
 村を離れようとすると、村の入り口の広場に3人ほどの女性が店開きをした。手作りの工芸品を買えとのジェスチャーである。