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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

北タイ山岳民族と倭族の履物

2016-07-07 09:12:56 | 東南アジア少数民族

所謂、魏志倭人伝からみていきたい。そこには倭人は「皆徒跣」とある。つまり弥生人は裸足であると、魏志倭人伝は記す。

ほんまかいな?との疑問が無いわけではない。集落内では裸足であったとしても、一歩外の世界へ出るには、踏み分け道程度しかなかったであろうことを考えれば、履物は存在したであろう。
その前に、倭族と云うより弥生人と風俗が似かよっている、雲南南部や北タイ少数民族はどうであろう。北タイ少数民族といえども、近代化の波で裸足の生活など存在しないであろうと考えていたが、モン(Hmong・苗)族の老婆の足元をみると、裸足ではないか・・・う~ん、ひと昔というより20-30年前までは、切り立った切株のない集落内では、裸足は通常の姿であったろうと推測される。

してみれば、魏志倭人伝の「皆徒跣」の記述は、それなりに真実を伝えているとも思われる。
北タイの少数民族も裸足ばかりではなかったであろう。その履物は、どのようなものであったろうか? 現在は鼻緒付きのビーチサンダル(草履)を多くの少数民族が履いている。

ではひと昔前は、どーうであったろうか。ハノイ民族学博物館で黒タイ族の竹下駄を見た覚えがあり、その写真を探すがでてこない。そこでインターネット検索すると、鳥越憲三郎氏のエッセイ「下駄とワラジのルーツ」(そこの”談話室”をクリック)なるHPがヒットした。そこにはアカ族やタイ族、カレン族の下駄が紹介されている。北タイの少数民族は下駄や草鞋を履いていたのである。
そうすると、風俗の似ている我が弥生人も履物を履いていたであろう。登呂遺跡では田下駄が出土しており、この南方系の履物は稲作文化と共に伝来したであろう。また福岡の那珂久平遺跡や吉野ヶ里では、板を浅くえぐった木製の沓が出土している。
沓は別として田下駄は、北タイ少数民族の下駄と同じようなものである。魏志倭人伝を著した陳寿、記述にあたっての情報源は種々あったであろうが、その情報提供者は、実際にどこまでみたのであろうか?との疑念を覚える。
いずれにしても、裸足の生活や履物も、北タイ少数民族と弥生人は似ていたであろうと推測される。





アカ族の門

2015-09-05 07:38:55 | 東南アジア少数民族
 過日紹介したアカ(中国でハニ)族の門について再掲したい。下の写真はBaan Tong Luangのアカ族集落に建つ門(これを鳥越憲三郎氏はロコーンと記し、北タイ情報誌CHAOはロッコンと記す)である。


 門の外側は悪鬼や霊の住む世界で、その内側は人の住む世界であり、門は結界であることを示している。  
 この門は左右の柱の上に笠木を横たわす。その上に木の鳥形肖形物を載せている。それらは赤や黒で彩色されている。この赤や黒には何か意味がありそうだが、それは分からない。
 笠木には鋸歯文、柱には襷文様を見ることができる。これらの文様は古代からの幾何学文で、土器の装飾等にも用いられている。鳥越憲三郎氏によると、この木製肖形物の鳥は、神が村人の守護のために天から降臨するときの乗り物で、この信仰は倭族に広く見られる・・・としている。
 笠木からは、竹のへぎの輪を数珠つなぎにしたものが垂れ下がっているが、これを氏は注連縄と呼んでいる。また笠木や柱には竹のへぎを、円周上に井桁に編んだものを鬼の目と呼んでいる。注連縄は縛るもの、鬼の目は侵入者に対する脅しの呪具である。
 氏は更に柱の根元に、祖父(ヤダ)・祖母(ミダ)の祖先像とし、性器を露わにして向き合っている・・・とし、それは農作物の豊穣を願うものであるという。
 この門は1年ごとに建て替えられるといわれているが、ここBaan Tong Luangのアカ族集落では一つの門しかなかった。下の写真はグーグルアースから借用したものであるが、そこには幾つもの門が並んでいる。
 これらを多くの学者は鳥居の原形だという。そう云えば、鳥形木製品は多くの弥生遺跡で出土している。20数年前だが、滋賀県野洲市の銅鐸博物館の屋外展示場で、このような門を見た記憶がある。過日吉野ケ里歴史公園のHPをみると、同様な門の写真が掲載されていた。下の写真もグーグルアースから借用したものである。
 朝鮮半島の鳥竿のような形で、笠木にとりつけられている。そのHPによると・・・弥生時代の土器等に描かれた高床建物や重層建物の屋根の棟飾りや軒飾りには、鳥の姿が描かれていることがあります。また弥生時代の遺跡からは木製の鳥形が出土しており、当時の習俗的シンボルであったと考えられます。
 鳥への信仰は現在でも穀霊観念が明確な東南アジアの稲作民族に広くみられることから、弥生時代に穀霊信仰が存在したと推察されます・・・と記載されている。
 鳥越憲三郎氏は、この鳥形肖形物を神が村人を守護するため、天から降臨する時の乗り物と表現した。いずれが正鵠を得ているのか? いずれにしても、北タイの少数民族に興味は尽きない。

Baan Tong Luangの少数民族村・カヤウカレン族&パロン族

2015-09-03 09:40:26 | 東南アジア少数民族
 カヤウカレン族は、カレン族の一派で、女性は足に真鍮の輪を嵌めており、首長族の女性と様子が異なる。写真の女性は腰機を用いて織物をしている。ここBaan Tong Luangでは、腰機を使っている女性を多く見た。
 下の写真2枚は、パロン族の女性で腰に金属製の輪を付けている。理由を聞くのを忘れたが、これがパロン族女性の風俗とのことである。









Baan Tong Luangの少数民族村・カヤンカレン族

2015-08-26 09:43:32 | 東南アジア少数民族
 所謂首長族である。タイの首長族集落は、メーホンソンからミャンマー国境にむかった奥地に集まっている。ミャンマー政府軍との抗争をさけて、タイに移住して来た人たちの集落である。写真に写っている少女は、そのようなことは知る由もなかろが・・・。
 彼らは高床式住居に住まいする。屋根には千木を見ることができ、弥生時代の高床式住居に繋がるものがある。
 彼らは古来アニミズムで、高い木などに精霊が宿ると信じてきたが、近年はキリスト教を信仰している。その教会が村の高台に建っていた。







Baan Tong Luangの少数民族村・ヤオ族

2015-08-14 09:12:37 | 東南アジア少数民族
 ヤオ(ミエン)族は、中国雲南に居住する。漢族に追われて南下したものと考えられる。住居は土間式で、道教の盤古神を信仰し、日本の原形かと思われる歌垣も存在するという。
 なるほど住居は土間式であった。衣服は雲南のヤオ族とは異なるようだ。その変化の過程も知りたいが、そのような研究者は?


 女性が頭に被り物をしているのは、雲南のヤオ族女性と同じである。