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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

松江・風土記の丘ミュージアム・その3

2016-05-09 08:00:38 | 博物館・島根県

<続き>

今回は、「額田部臣銘文太刀」を紹介したい。この太刀は6世紀後半の岡田山1号墳から出土した。この墳墓は出雲地方に多い前方後方墳である。

 

 

柄(つか)は銀象嵌で亀甲文が表現されており、刀身に「額田部臣」と銀象嵌されていることが分析の結果判明した。ミュージアムでは現物展示されている。残念乍ら国宝ではなく、重要文化財とのことである。

 

この鉄剣の重要なところは、パンフレットにもあるように、大和政権の部民制が地方に及んでいたことを明らかにした点にある。




                             <続く>


松江・風土記の丘ミュージアム・その2

2016-05-08 14:01:06 | 博物館・島根県

<続き>

昨日に続き埴輪を紹介する。今回は家形埴輪で時代は6世紀、いずれも重要文化財に指定されている。

 

 

屋根には堅魚木(かつおぎ)が載る。残念だが千木は見ない。戸口が一段高いところに設けられている。夏季の瘴癘による毒蛇や害虫の侵入を防ぐためであろう。

銅鏡の文様に出てくる屋根構造をもつ埴輪で、入り口は上の埴輪同様に一段高い位置に設けれている。
実は、この構造の家屋は、東南アジアでは現存し、山岳少数民族の住居として現在も用いられている。

これは、ハノイ国立民族学博物館に移築されているハニ族(中国、ベトナムでハニ族と呼び、タイではアカ族と呼ぶ)住居である。アカ族の住居は、周辺の少数民族の影響を受け、多少変質しているが、ハニ族は山の中腹に住み、山勢に依って村寨を建てる。家屋は石で基礎を作り、土壁を用いる。
上の家形埴輪を人間が住める大きさにすると、上写真のハニ族住居になると云っても過言ではないように極似している。
弥生時代から古墳時代にかけて、高床式住居や上述の埴輪形状の住居は、東アジア・東南アジアにかけてのワールド・スタンダードであったろうと思えてくる。

 

蓋形埴輪は、中国・漢代とある、とすれば朝鮮半島経由であろう。吉野ヶ里では更に大型の蓋形埴輪を見ることができる。




                                 <続く>



松江・風土記の丘ミュージアム・その1

2016-05-07 07:59:25 | 博物館・島根県

昨5月6日、陶磁器の年代測定について、松江の分析業者を訪問し、説明を受けたり質問することにした。それらのことは後日紹介することにして、分析業者訪問後に訪れた”八雲立つ風土記の丘ミュージアム”についてふれてみたい。
ここは、優れた埴輪が多く展示されていることで著名である。それらの数々を先ず御覧願いたい。

 

タイ北部の少数民族もこのようであったろうと思われるが、現在でも顔に刺青している人の所在は聞いたことがない。但し、体へ刺青している少数民族は、未だに所在している。水陸を問わず正体不明動物の害を避けるための工夫であろう。

 

 

 

御覧頂いた3体の馬埴輪は、いずれも重要文化財である。造形的にはやや具象性があるが、脚は棒状で省略が見られる。

 

 

古墳時代といっても、6世紀前半とある。その時代になんと造形感覚に優れた工人がいたのであろうか。他の埴輪には観られない具象性に優れた埴輪である。大和との関連性云々よりも、何か大陸や朝鮮半島の職人との関連を考えさせる埴輪である。

訪れられる方がいらっしゃるとすれば、その位置関係を示しておく。以下、何回かに分割して紹介したい。


                               <続く>