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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

鳥取砂の美術館・南アジア編#4

2019-05-21 08:49:44 | 因伯二州

<続き>

〇タクツァン僧院とチベット仏教:ブータン

(出典:グーグルアース)

リーフレットによる説明では、『ブータンの国教であるチベット仏教の聖地タクツァン僧院。標高約3000mの断崖絶壁に張り付くように建てられた僧院は1692年に建築され山岳国家ブータンを象徴する光景となっています。

タクツァンは虎の棲み処を意味し、8世紀末に高僧パドマサンバヴァが虎の背に乗って現われ、近くの洞窟で瞑想したことに由来します。国内のみならず世界中から多数の参拝者が訪れる場所です。』・・・とある。

仏教はチベットに至り密教化した。仏教程各地で変質した宗教はないが、日本では葬式仏教と云われるほど、死後の世界にまで影響を及ぼした。釈迦は死後の世界については一言も言及していない。

 

<続く>

 

 


鳥取砂の美術館・南アジア編#3

2019-05-20 08:45:34 | 因伯二州

<続き>

〇バーミヤンの大仏・アフガン

以下リーフレットより『アフガニスタンのバーミヤンにある世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」。1世紀頃から石窟仏教寺院が作られ始め、5~6世紀頃には高さ55mと38mの2体の大仏を含む多くの巨大仏像が彫られバーミヤンのの仏教文化は繁栄を極めました。「西遊記」でモデルになった玄奘三蔵もかつて巡歴する途中この地を訪れたといわれます。しかし残念なことに2001年に2体の大仏はイスラム教における偶像崇拝にあたるとしてタリバンによって破壊されました。』

釈迦は生前に死後のことは何も説かず、自分の像を作り崇拝せよとは唱えなかった。これらは全て弟子達の仕業である。

<続く>


鳥取砂の美術館・南アジア編#2

2019-05-18 09:58:38 | 因伯二州

<続き>

〇仏陀の入滅・インド

以下、リーフレットより。『悟りを開いた仏陀は、人々に教えを説く決意をします。現在のインド北部を中心に広く説法の旅を続け、やがて立場や身分に関係なく多くの人々が帰依しました。季節が雨期になると一箇所に留まって説法をし、その拠点として祇園精舎がよく知られています。仏陀は布教活動を約45年間続け、80歳のときにインド北部クシナガラにある沙羅双樹のもとで横になり、最後のときを迎えました。。後の時代に描かれた涅槃図には菩薩や弟子たちだけでなく、様々な動物たちも仏陀の入滅を嘆き悲しむ様子が描かれています。』

祇園精舎と云えば、六波羅入道清盛の『祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ。』・・・をどうしても思い出してしまう。

 

<続く>


鳥取砂の美術館・南アジア編#1

2019-05-17 07:06:51 | 因伯二州

春の10連休中の1日、砂の博物館で開催の南アジア編の砂像を見物に行ってみた。今回を皮切りに一場面毎に紹介したい。初回は<仏陀の出現と悟り>である。

以下、当日配布されたリーフレットより、「紀元前5世紀頃、ネパールの釈迦族の王子として生を受けたゴウダマ・シッダルータ。ある日、城を囲む四門より外出しようとしますが、東西南北それぞれの門で『老い』『死』『病』『修行僧』に出会います。それによって生老病死について自問するようになり、その答えを求め王族の地位を捨てて出家します。出家したシッダルータは苦行など様々な修行を繰り返しますが、自分を苦しめるだけのものでは悟りに至らないことに気付きます。苦行をやめ菩提樹のもとで瞑想していたとき、ついに悟りを開くのでした。仏陀の誕生、仏教の始まりです。

砂像はシッダルータが菩提樹の下で悟りを開く場面、それに合掌等をしている5人の像。この5人は五比丘と呼び、阿若(あにゃ)、阿説示(あせつじ)、摩訶摩男(まかなまん)、婆提梨迦(ばつだいりか)婆敷(ばしふ)である。この五比丘に悟りをひらいた釈迦が、法をといている場面で、これを初転法輪と呼んでいる。それにしてもリアリティー溢れる彫像である。

 

<続く>

 


鳥取砂丘と砂の美術館

2019-05-02 06:13:21 | 因伯二州

令和元年五月一日、鳥取砂丘の砂の美術館へ行って来た。今回の砂像のテーマは『南アジア編』、展示されている像については追って紹介するとして、人出と渋滞にはウンザリした。孫が馬の背に登るという、斜度がきついので遠慮。

馬の背も砂の美術館内もひと人で、ゆっくり見物すること能わず。天候は優れないのに人出は多い・・・1億総?の一員でした。

 

<了>