私が走り始まった21年前、
鹿窪に日大のTシャツを着た身長の高い
カッコいいランナーが居ました。
大学4年就活の傍ら鹿窪に来ていたようです。
まだ小学生だった家の娘達はその走る姿を見て
『キリンさん』とあだ名を付け娘共々親しくなって行きました。
でも本当の名前は、O嶋くん!
走り始まったとはいえ私は全くの素人
でも結構私の走力を認めてくれ
ただJOGしか出来ない私に色々な事を教えてくれました。
レースもよく一緒に行った。
駅伝の経験もさせて貰った。
序に私の友達も走りに誘い
ちゃっかり入賞!
沢山の知り合いも出来て今とは違った楽しさがあった。
最近では私を、姐さんとかマヨ姉とか呼んでくれますが、
一番最初にアネゴ!って呼んだのはO嶋君です。
まだ、30代前半でまだまだ初々しいはずだったけど、
彼からすれば一回り違う姐さんです全然違和感ナシ。
「アネゴ、40分切るんじゃ4分のインターバルが出来なくちゃダメですよ。」
「え~、無理、絶対無理、1本がやっとだよ~~~。」
「アネゴ、3時間15分切れば国際マラソンに出られますよ!」
「国際マラソンって何?普通の人も出られるの?」
私が想像もしていなかった世界をどんどん開いてくれた。
お返しに・・・
私も少しだけ違う世界を見させてあげました。
もともとトライアスロンをやる為に走り初めたものですから、
「下妻の砂沼でやってるスイム&ランに出ない?」と、、、
私はロング、O嶋くんはショート、
自分のレースが終わると、私の応援をしてくれた。
大会慣れして来てからは、
指定のキャップは敢えてかぶらず目立っていました。
このレースでは黄色いのが私です、今見ても怖い。。。
最初の頃男子と区別が付かず上から見て分からないって言われたのがきっかけです。
この沼での泳ぎは本当に過酷で、
初レースの時はウエットスーツを着なかったので溺れて死にそうでした。
(何年間の写真なので同じレースではありません)
1・5kmの沼を泳いでからの10kmのラン
こうして伴走をして貰い、
泳ぎは中間でも走りで必ず挽回し
いつの間にか
私はチャンピオンコース連覇をするまでになりました。
芝での混浴は最高の贅沢でした。
この頃の私はランナーというよりスイマーでした。あ!今もか?
初めてこの盾を貰った時は本当に嬉しかった!
まさしく命がけのレースでしたから。
毎年優勝して大騒ぎする私の団体は
大会本部から
「コウタファミリー」と呼ばれる様になっていましたが、
でも実際は毎年知らない人と大騒ぎをしていました。
写真を見たら毎年メンバーが違っていて今となっては名前も思い出せません
こちらの方はO嶋くんのライバルでした。
大会が終わってからは、
いつも大騒ぎ。
帰りのファミレスで、
そして、隣のテーブルと・・・
こんな感じ。。。
私の一番大切な大好きな大会でしたが、
鯉ヘルペス騒ぎで大会が出来なくなってしまい
O嶋くんは結婚を機に走りをお休みする事になり
それから私は、
真剣に泳ぐ事を止め今の仲間と走りに専念しました。
デジカメなんか無かったけど凄く沢山の写真があります。
何故急にこんな思い出写真を引っ張りだしたか?
実は、
「O嶋くん、まだ走らないの?」
偶然会う度にそんな言葉を掛けると
「いや!親子マラソンでデビューします。」言い続けて10年、
ず~と待っていたO嶋くんが満を持して走りの世界に帰って来ました!
大凧マラソン5km 40歳代の部 優勝
またこうして、
一緒に写真を撮る事が出来た!
お互いにそれなりに年を取って・・・
私が闘えるうちに帰って来てくれて良かった。
「私、結構長い間頑張ってると思わない?」
「いや!アネゴ本当に凄いですよ!」
O嶋くんが一番知ってる私のランナー人生
これからも褒めて貰える様に頑張ります!
来年も凧ゲットしましょう!
(O嶋くんの許可ありの写真掲載です。)