第243時間目で「究極の努力の人」と評されたラカン。
「努力型」と呼んでよいものかどうか意見が分かれるところです。
なにしろ努力の人と呼ぶかどうかには、幾つか軸があるからです。
そのうち今回取り上げるのは、2つの軸、
努力を今まで「してきた」ことで今ある人なのかどうかという所と、
努力を好んで「しようとする」性格なのかどうかというところ。
ラカンは大雑把に言って、「してきた」が「しようとはしない」タイプです。
こう考えると確かにシェーンコップには重なります。
叩き上げで今の力を手に入れたが、
ここまで強くなろうとしてなったのではないかも、といった感じ。
これだけの力を身に着ける機会と才には恵まれていたとはいえそうですが。
「究極の努力の人」というよりは、「努力で究極の人」。
そしてネギは「してきた」し「しようとする」タイプ。
ユリアンタイプですね。
「究極の努力の人」にはこちらの方がふさわしいかもです。
下手をすると「努力のための努力」に行き着きかねない人でもありますが。
そして「してこなかった」し「しようとはしない」タイプはというと、
銀河帝国第36代皇帝フリードリヒ4世やフォーク准将辺りも該当しそうですが、
ネギま!では目立たない・・・?
そしてナギはというと、実は
「してこなかった」が「しようとする」といった感じがあります。
ラインハルト等にも近い要素は見えますが、
(出世がショートカットなのは間違いないが、相応の働きをしようとはしている。)
そして・・・
フェイトも「してこなかった」が「しようとする」に近いのかも。
「努力型」と呼んでよいものかどうか意見が分かれるところです。
なにしろ努力の人と呼ぶかどうかには、幾つか軸があるからです。
そのうち今回取り上げるのは、2つの軸、
努力を今まで「してきた」ことで今ある人なのかどうかという所と、
努力を好んで「しようとする」性格なのかどうかというところ。
ラカンは大雑把に言って、「してきた」が「しようとはしない」タイプです。
こう考えると確かにシェーンコップには重なります。
叩き上げで今の力を手に入れたが、
ここまで強くなろうとしてなったのではないかも、といった感じ。
これだけの力を身に着ける機会と才には恵まれていたとはいえそうですが。
「究極の努力の人」というよりは、「努力で究極の人」。
そしてネギは「してきた」し「しようとする」タイプ。
ユリアンタイプですね。
「究極の努力の人」にはこちらの方がふさわしいかもです。
下手をすると「努力のための努力」に行き着きかねない人でもありますが。
そして「してこなかった」し「しようとはしない」タイプはというと、
銀河帝国第36代皇帝フリードリヒ4世やフォーク准将辺りも該当しそうですが、
ネギま!では目立たない・・・?
そしてナギはというと、実は
「してこなかった」が「しようとする」といった感じがあります。
ラインハルト等にも近い要素は見えますが、
(出世がショートカットなのは間違いないが、相応の働きをしようとはしている。)
そして・・・
フェイトも「してこなかった」が「しようとする」に近いのかも。
なんかここ1週間、ラカン努力家説があちこちで物議をかもし出してるみたいですね。
「努力」や「天才(才能)」の定義にもよると思いますが、私の印象だとラカンは
・強くなる努力をした成果、というより、色々あった結果として強くなった。
・どんなに努力しようが結果としてあそこまでになった時点で「大」がつく天才。
・「してきた」が「しようとはしない」タイプ、というのは同感。
・てゆーかネギ君、「40年」じゃなくて「20年」だろう。
という感じかな。
ネギについては
>「究極の努力の人」にはこちらの方がふさわしいかもです。
>下手をすると「努力のための努力」に行き着きかねない人でもありますが。
これがまさに同感です。
フェイトは創られた存在なので「強くなる事(=性能の向上)」自体があり得るかどうか。
ちなみに銀河英雄伝説は全然わからないんです。すみません。
隠遁していた間に更なる力を得ようとしていたとも思えませんし。
ただやっぱり定義をどう考えるかによって色々意見が出そうですね。
フェイトの場合、「自分の力で何かを勝ち取る」欲求があるのでは、と。
それが「強くなる」という方向にはなさそうではありますが。
銀英伝は「戦争物」としては人間ドラマの比率が高く、
やはりこの手の例えに使いやすいというか・・・
コメント有難うございました。