ラスボスっぽい台詞に「実は味方」説まで。そんな総督を追ってみました。
しかしどこか超鈴音の影が・・・
ちなみにゲーデル(学者)のここやここの写真を見る限り、
見た目の面ではモデルになっているのかもしれない。性格は違いすぎるが。
さて、どの世界のどの半分なのやら。
問題はこの台詞をセラスが責めないこと。
後ろでMM兵も聞いているはずだが・・・
一定の根拠のある発言と考えて良いのか。
「この世界」は「始祖の末裔」が「正当なる所有者」ときた。
世界征服をしろというのか、そして行き着く先は
大国による世界の一極支配?
この考え方は意外と古典的なものだったり。つまり
「~の威光の及ぶ地」とかいう言い回しに見られるような、
パクス・ロマーナのごとく、力を持つものによる平和。
尤も「力」とはいっても現代の安全保障においては個人や国に限らず、
条約や国際法のような拘束力や、国際運動のような共感力にも頼ろうとします。
しかし得てして人はそのような「あるべき平和」を求めるために戦うことになり、
かえって憎悪の連鎖を引き起こします。(こことかもご参考に)
「世界は理不尽に満ちている」
人は世界を道理に適ったものであって欲しいと願う。それは理性が支配する世界。
しかしその理性・道理の限界を示したのがゲーデルの不完全性定理だったりするが。
「ネギの敵」、それは総督の敵であって、
なおかつネギが敵対する理由も存在するような相手。
あるいはナギやアリカにとっても、なのかも。
あるいはそれは、オスティアを侵略した帝国・・・ヘラス皇帝(テオドラも)とか。
「世界の半分(帝国領)をおまえにやろう」?
もしくは「世界を救う力」を持たぬ支配者達・・・連合元老院とか。
唐突にドルネゴスとかは無いよな・・・・多分。
しかしどこか超鈴音の影が・・・
ちなみにゲーデル(学者)のここやここの写真を見る限り、
見た目の面ではモデルになっているのかもしれない。性格は違いすぎるが。
さて、どの世界のどの半分なのやら。
問題はこの台詞をセラスが責めないこと。
後ろでMM兵も聞いているはずだが・・・
一定の根拠のある発言と考えて良いのか。
「この世界」は「始祖の末裔」が「正当なる所有者」ときた。
世界征服をしろというのか、そして行き着く先は
大国による世界の一極支配?
この考え方は意外と古典的なものだったり。つまり
「~の威光の及ぶ地」とかいう言い回しに見られるような、
パクス・ロマーナのごとく、力を持つものによる平和。
尤も「力」とはいっても現代の安全保障においては個人や国に限らず、
条約や国際法のような拘束力や、国際運動のような共感力にも頼ろうとします。
しかし得てして人はそのような「あるべき平和」を求めるために戦うことになり、
かえって憎悪の連鎖を引き起こします。(こことかもご参考に)
「世界は理不尽に満ちている」
人は世界を道理に適ったものであって欲しいと願う。それは理性が支配する世界。
しかしその理性・道理の限界を示したのがゲーデルの不完全性定理だったりするが。
「ネギの敵」、それは総督の敵であって、
なおかつネギが敵対する理由も存在するような相手。
あるいはナギやアリカにとっても、なのかも。
あるいはそれは、オスティアを侵略した帝国・・・ヘラス皇帝(テオドラも)とか。
「世界の半分(帝国領)をおまえにやろう」?
もしくは「世界を救う力」を持たぬ支配者達・・・連合元老院とか。
唐突にドルネゴスとかは無いよな・・・・多分。
ついでに、不完全性定理のことですが、ゲーデルは理性や道徳の限界を示したというより、無限の英知への切符を人類が手にしていることを示唆しているように自分は思います。なぜなら、「自然数論を含む述語論理の体系は、もし無矛盾ならば、形式的に不完全である」を証明したんですから。入門書を読んだだけですが。
不完全性定理での「理性や道徳の限界」というのは実は「現時点の道理」とか「理性主義」の限界だったりするのですで、「無限の英知への切符」という表現も正しいのです。
ただ、その「無限」の部分こそがかつては「カオス」とも解釈されたりしていたのですが・・・
コメント有難うございました。