ぼくは、朝になると、毎日庭に来るスズメたちに餌をやっている。初夏頃になると、お母さん鳥に連れ立って、巣離れした雛鳥がやってくる。雛鳥は当初母親にピーピー鳴いて餌をねだり、母鳥はほおばったアワを口移しで雛鳥に数回やる。「ここにあるから、あとは自分で食べるんだよ」。まるで母鳥はそう言ったかのように、口移しは数回だけで、次の日からはもう自分で食べるようになる。
自然社会ではこのように、親は子供に対して当たり前のことを最小限にだけ教える。ところが、今の日本の親たちは、子供に愛情や生きる希望、生きる楽しさという大切なものを教えないで、勉強しろと、強制ばかりして抑圧している。そうすると子供たちは希望が持てなくて抑圧だけの日々に疲れ果て、いずれ出口を求めて自殺行為に走っていく。
先日、埼玉県川口市で、中学3年生の少女が43才の父親をナイフで刺し殺した。少女は「人の顔色を見ながら暮らすのに疲れた」と言い、「日ごろから両親に勉強しろと言われ、今回の期末試験の成績が悪くって親に見つかる前に、親を殺して自分も死のうと思った」と供述している。先月も奈良県大和郡山市で、51才の会社員の父親を、18才の長男がやはりナイフで刺し殺した。殺した息子は「殺すしかなかった」と言っている。この父親は息子が小学生の時に妻と離婚し、息子は中学3年の二学期から不登校になり、以来家でモンモンとしてたようだ。
このような事件はもう毎日のように起こるようになってしまった。
今日のサンケイ新聞には、高校と大学・専門学生の約3割が親や友人に対して殺意を抱いた経験を持つことが、大阪大学大学院の調査で分かったとあった。異常な社会である。
今の子供たちは何でここまで追い込まれているのか。
その点を評論家の芦沢俊介さんは「親殺しの前には子殺しがある」と力説している。彼が子供たちからの300通の手紙を分析したら、家族関係に問題はないのが三分の一しかなく、残りの三分の二からは非常に強い子供の不満が伝わってきた。そして不満の子供たちの家庭原因を分析すると、成績の良い子・学歴の高い子をつくるという「教育家族化」、両親の離婚、コミュニケーション能力の低下、があげられたという。
世の親たちよ、子供を育てるということは、子供たちから生きる自信を奪うことではなく、自信を持たせることだ。はっきり言って、頭の良さ・悪さは生まれつき格差がある。これは金持ちの子に生まれるか貧乏な家庭に生まれるかと同じで、神様からその人に与えられたそれぞれのハンディだ。生きている本当の醍醐味というものはそのハンディをその人なりに乗り越えようとするところにある。どう生まれたかというより、どう生きたかに人生の醍醐味がある。本当の教育とはそういう生きる力を教えることだ。
本当に、世の親御さん、たのむぜ。
そういったことが題材となって、次の掌編小説「闇夜」は20年も前にぼくが書いたものです。
自然社会ではこのように、親は子供に対して当たり前のことを最小限にだけ教える。ところが、今の日本の親たちは、子供に愛情や生きる希望、生きる楽しさという大切なものを教えないで、勉強しろと、強制ばかりして抑圧している。そうすると子供たちは希望が持てなくて抑圧だけの日々に疲れ果て、いずれ出口を求めて自殺行為に走っていく。
先日、埼玉県川口市で、中学3年生の少女が43才の父親をナイフで刺し殺した。少女は「人の顔色を見ながら暮らすのに疲れた」と言い、「日ごろから両親に勉強しろと言われ、今回の期末試験の成績が悪くって親に見つかる前に、親を殺して自分も死のうと思った」と供述している。先月も奈良県大和郡山市で、51才の会社員の父親を、18才の長男がやはりナイフで刺し殺した。殺した息子は「殺すしかなかった」と言っている。この父親は息子が小学生の時に妻と離婚し、息子は中学3年の二学期から不登校になり、以来家でモンモンとしてたようだ。
このような事件はもう毎日のように起こるようになってしまった。
今日のサンケイ新聞には、高校と大学・専門学生の約3割が親や友人に対して殺意を抱いた経験を持つことが、大阪大学大学院の調査で分かったとあった。異常な社会である。
今の子供たちは何でここまで追い込まれているのか。
その点を評論家の芦沢俊介さんは「親殺しの前には子殺しがある」と力説している。彼が子供たちからの300通の手紙を分析したら、家族関係に問題はないのが三分の一しかなく、残りの三分の二からは非常に強い子供の不満が伝わってきた。そして不満の子供たちの家庭原因を分析すると、成績の良い子・学歴の高い子をつくるという「教育家族化」、両親の離婚、コミュニケーション能力の低下、があげられたという。
世の親たちよ、子供を育てるということは、子供たちから生きる自信を奪うことではなく、自信を持たせることだ。はっきり言って、頭の良さ・悪さは生まれつき格差がある。これは金持ちの子に生まれるか貧乏な家庭に生まれるかと同じで、神様からその人に与えられたそれぞれのハンディだ。生きている本当の醍醐味というものはそのハンディをその人なりに乗り越えようとするところにある。どう生まれたかというより、どう生きたかに人生の醍醐味がある。本当の教育とはそういう生きる力を教えることだ。
本当に、世の親御さん、たのむぜ。
そういったことが題材となって、次の掌編小説「闇夜」は20年も前にぼくが書いたものです。
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