新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

優勝するということは

2021-11-30 08:19:00 | コラム
産経抄氏は「ハンカチを片手に見ようとは」と振り返っていた:

去る29日の産経抄では「日本シリーズをハンカチ片手に見ようとは思ってもみなかった。ヤクルトが5時間にも及ぶ熱戦を制した瞬間、主力の山田や村上、ベテランの青木までが男泣きしているではないか」と、勝者の喜び方が見る者に与えた感動を述べておられた。

確かに、冷静なる評論家を標榜する私も、ヤクルトが宗のセカンドゴロを山田が裁いてオスナが送球を取ったときに、足を早くベースから離しすぎたのではないかとヒヤヒヤしたが、優勝できたスワローズの監督・コーチと選手たちの喜びがどれほどのものかを想像して、危うく涙が出そうな思いだった。決して良い試合だったから感動した訳ではない。私は何時もテレビで中継されるあらゆる競技の大きな大会の決勝戦を見逃さないようにしているのは、勝者が喜ぶ様子を見て、彼らの胸中を察したいからなのだ。

私には正直なところ、その勝者たちの喜びがどれほど大きいものであるかが解らないのだ。何故解らないのかと言えば、自分が旧制の中学から大学までのサッカー生活でも会社員となってから経験したその業界の準硬式と軟式の多くの野球大会でも、一度も優勝を経験できなかったのだ。お恥ずかしながら、高校の頃に甲子園に出て優勝した野球部の連中と親しくて、練習が終わった後で彼らと一緒になって「硬式野球」をして遊んでいたので、会社では何と投手だったのだ。

我が湘南高校のサッカー部は昭和21年の第1回国体の中学校の部で優勝したが、その時の私は負傷休養中で神戸には行けなかったので、感激も感動もその場では味わっていなかった。23年の福岡国体では決勝戦に広島師範附属高校に1対0で無念の敗戦で、ここでも「優勝」の感動も感激も経験できずに終わった。ところが、24年には初めて甲子園に出ていった野球部が、失礼を顧みずに言えば「まさか」の優勝で、またしても他者の優勝を喜ぶだけで終わっていたのだった。

ここまでに述べてきたことは、単なる勝利ではない「優勝」をした経験がなかったので、人生に一度でも良いからその道に励んできた者としての、何物にも代え難い感動(なのだろうか)を味わっておきたかったのである。その喜びがどれほどかを知りたかったのだ。その思いがあるだけに、スワローズのあの日本シリーズ制覇や、オリンピックで優勝した選手たちの感動と感激がどれほどのものかの想像は出来ても実感を伴う訳がないのだ。そういう意味からしても、自分で経験できなかったという意味での「涙」でもあるのだ。

ここから先を言いたくて採り上げるのではないが、スポーツの世界では優勝はなかったが、アメリカの会社の一員として、我が事業部が我が国に向けての液体容器原紙の市場占有率の#1の地位に到達したときは、副社長以下で静かに感動を味わったのだった。だが、その後になって経験した「首位の座を守る」苦しさは事前には夢にも思わなかった苦難の道だった。

即ち、抜かれたcompetitor(と敢えて英語にするが)はあらゆる手段に訴えて引き摺り降ろそうとかかってくるし、業界のリーダーとして果たすべき目に見えない役割をある。それに王者(というが)としての振る舞いを取引さからも全紙パルプ業界からも期待されるのだ。ナンバーワンになった感動も喜びを味わうことなどは瞬間的に終わって、「明日からどうするか」の準備に副社長以下全員で入っていったのだった。この辺りは運動選手たちと(運動選手たちも)同じ境地にあるのだろうと思う。


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