○351『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代半ばまでの政治

2016-09-15 19:07:08 | Weblog

351『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代半ばまでの政治

 1990年代の始めから半ばまでの政治経済状況について、丸尾(筆者)はこう書いた。まずは、錯綜重ねる政界図と題し、こう言う。
 「政治面では、92年10月に金丸信氏が東京佐川急便事件の責任をとって議員辞職、竹下派会長も辞任、後任に小渕恵三氏が就任しました。「天下、国家のために働いている」と公言してはばからなかった彼・金丸氏が、後に自宅で75キログラムの金塊を抱いていたことが判明したように、長らく権力の中枢にある人が一皮剥けば実はカネまみれであったことは、驚きでありました。
 92年12月になると竹下派が分裂、小沢一郎、羽田両氏らが羽田派を結成、小渕派は党内台4派閥に転落します。政局は麻のごとくに乱れて変動がやまず、93年6月内閣不信任案に自民党の小沢・羽田グループが合流して可決しました。衆議院は解散し、小沢・羽田グループは新生党を結成しました。
 93年8月には細川・非自民党内閣が成立しました。新保守三党を含む七党一会派による連立政権という寄り合い所帯の誕生でした。
 その後の94年4月の羽田内閣を経て、翌94年6月には今度は自民党も賛成して自社さまがけ連立の村山社会党首班の内閣が発足します。社会党は衆議院で74議席を占めていました。自民党は在野に下り、主流派は経世会を平成政治研究会に改称、返り咲きの機を窺っていました。
 一方、94年12月には新進党が結成され、海部党首、小沢幹事長に就任しました。この間に民主主義に逆行する小選挙区制が創設されるとともに、貧富の差をさらに広げる年金改悪や消費税増税が行われました。さらに、いわゆる「55年体制」で40年近くの歳月名を成してきた日本社会党は、この両方の関係をどうするかの政治課題(選択というべきか)に労働者と勤労国民の代表の立場を貫けず、このころから「現実色」を強めてしだいに体制内勢力の一部へと組み込まれていきました。」
 これらのうち、社会党が大きく政策転換したのは周知のことであるが、政治面で安全保障政策とこれに関連する憲法条項(憲法第9条)、そして小選挙区制導入如何が、のっぴきならぬ命題として提出されるに至る。
我が国の安全保障からいうと、なかなかに電撃的な展開が見られた。時は1994年7月20日の衆議院本会議、出典は『日米関係資料集』(1945-97の1268-1269頁及び『朝日新聞』1994年7月21日朝刊)、村山富市首相の国会答弁には、こうある。
 「冷戦の終結後も国際社会が依然、不安定要因を内包している中で、わが国が引き続き安全を確保していくためには、日米安保条約が必要だ。日米安保体制は、国際社会における広範な日米協力関係の政治的基盤となっており、さらにアジア・太平洋地域の安定要因としての米国の存在を確保し、この地域の平和と繁栄を促進するために不可欠となっている。維持と言おうが堅持と言おうが、このような日米安保体制の意義と重要性についての認識は、私の政権でも基本的に変わることはなく、先のナポリ・サミットでの日米首脳会談では、私からこのような認識を踏まえて、日米安保体制についてのわが国の立場を改めて明確に表明した。
 私の政権の下では、今後とも日米安保条約、関連取り決め上の義務を履行するとともに、日米安保体制の円滑かつ効果的運用を確保する。在日米軍駐留経費特別協定の有効期間の終了後については、日米安保体制の円滑かつ効果的運用を図る必要があるとの観点から自主的判断に基き、適切に対応したい。その具体的内容は米側との協議を待って判断したい。」 「私としては専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものであると認識する。同時に、日本国憲法の精神と理念の実現できる世界を目指し、国際情勢の変化を踏まえながら、国際協調体制の確立と軍縮の推進を図りつつ、国際社会で名誉ある地位を占めることができるよう全力を傾ける。
 本来、国家にとって最も基本的な問題である防衛問題で、主要政党間で大きな意見の相違があったのは好ましいことではない。戦後、社会党は平和憲法の精神を具体化するための粘り強い努力を続け、国民の間に、文民統制、専守防衛、徴兵制の不採用、自衛隊の海外派兵の禁止、集団自衛権の不行使、非核三原則の順守、核・化学・生物兵器など大量破壊兵器の不保持、武器輸出禁止などの原則を確立しながら、必要最小限の自衛力の存在を容認するという、穏健でバランスのとれた国民意識を形成したものであろうと思う。
 国際的には冷戦構造が崩壊し、国内的にも大きな政治変革が起きている今日こそ、こうした歴史と現実認識のもと、世界第二位の経済力を持った平和憲法国家日本が、将来どのようにして国際平和の維持に貢献し、併せてどのように自国の安全を図るのかという点で、より良い具体的な政策を提示し合う、未来志向の発想が最も求められている。社会党においてもこうした認識を踏まえて、新しい時代の変化に対応する合意が図られることを期待する。」
次なる政治改革については、こうなっている。
 「政治改革関連法のうち、小選挙区比例代表並立制の導入に伴ういわゆる区割り法が94年11月21日に可決成立、同25日の公布、それからすでに成立を見ていた他の関連法とともに1か月の周知期間を経て94年12月25日に施行されました。これ以後公示される衆議院総選挙に際しては、1917年(大正14年)以来続いてきたいわゆる中選挙区制から小選挙区制に選挙制度ががらりと変わったのです。
 これによると、投票方法も記号式二票式になり、勤労国民と選挙の現場にとまどいが生まれました。また同時に、95年1月1日から改正政治資金規制法と政党助成法が施行されました。これで、「企業、労働組合等の団体の寄付が大幅に制限されるとともに、政治資金は政党が中心になって集めるようにして透明性を高め、同時に法人格を有する政党に対しては国から交付金が公布されるようになります。」(総理府広報室「家庭版、今週の日本、94年12月19日付け」)。選挙にカネがかかりすぎる、という反省から導入したと推進勢力によって自認されるこの制度は、政治資金規制法、政党助成法と法人格付与法、公職選挙法等に跨ったはば広型の対応を私たちに求めているのではないでしょうか。
 その不当性は、一口にいうならば民主主義の否定であり、なかんづく少数勢力が多数勢力になっていくことを拒もうとすることにほかなりません。」


(続く)

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