新19『美作の野は晴れて』第一部、春の学舎2

2014-09-26 08:06:10 | Weblog
19『美作の野は晴れて』第一部、春の学舎2

 私が小学校6年の頃、我が家では山羊(やぎ)を飼っていた。
 「8月8日(土)、晴れ
 うちのやぎは、ちちが大変よく出る。毎日、夜しぼる。多い時には一升二合ほど出る。体も大きくちちは、おなかの下にぶらりと、ぶどうの大きな房のように垂れ下がっている。木につないで、兄がしぼり、ぼくが足をもつ。気に入らなかったら足を強く動かす。だからゆだんができない。しぼり終わって木につなぐと、ぼくの方に向いて前足を80度ぐらい上げ後ろ足で立って独特の格好をして、「やるか」と言っているようだ。全く、うちのやぎは乳もよく出るが元気もいい。」(勝田郡「勝田の子」1964年刊)
 その雌の山羊がもたらしてくれる乳は、ときたま私が両手を振るに使って搾るときもあった。しかし、握力が要るため、直ぐに手がだるくなってしまう。我が家の山羊に対しては、多少でも家のために役立ってやろうという気があるのなら、それを態度で表してくれて然るべきではないかと思っていた。というのは、本来は両方の乳房を両の手でつかんで、交互に力を入れて左右の動作がリズミカルになるように搾っていくのだが、それができるのは彼女の足がうごいていないことが前提なのであって、機嫌がよくないと盛んに足で蹴るような仕草をするので、搾ることができなくなってしまうからだ。そんなときは、結局、家族の誰かに両足を固定してもらってから、搾りの作業に取り組んでいた。
 一度の搾り作業で、たらいの中に1リットルくらいは溜まるように搾っていたうようだ。それにかかっていた時間は、30分くらいはかかっていたようだ。しかも、当時は握力がまだ弱かったので、続けているうちに手がはじめは緩く、次には例えようもなく腕全体がしびれとともにだるくなっていく。結局、休み休みでしか行うことができず、だんだんに効率は上がずじまいであった。あるとき、その山羊は牝であり、山羊の赤ちゃんが2頭生まれたことがある。この日ばかりは「山羊さん、ご苦労様」という気持ちで祝福した。生まれた子供の山羊は、どこかの家にもらわれていったようである。その出産の日ばかりは、日頃の憎らしい思いは消えて、好物の、たぶん「ねむのき」の葉を沢山採ってきて食べさせていたのではないだろうか。
 記憶によると、私は、その乳を3日に一度くらいには飲んでいた。ミルクの飲み方は、学校でのものと違っていた。大好きな飲み方があって、それは茶碗に入れて放熱にまかせて冷ましていくと、ゆばが付いて、それをまず舌でなめとる。ゆばはぬめぬめした舌ざわりだが、同時にプーンと乳の甘ったるいにおいがしてくる。それから、いよいよミルクの液体にとりかかるのだが、量の手で茶碗を捧げ持って、一吸い、また一吸いと大事に飲んでいく。口の中に入ったミルクは喉を通り、ゆっくりと私の体の中にはいっていく。他の食べ方の中で最も刺激的だと思うのは、ご飯の上にあったかなその乳をかけて食べるのだ。これは、みなさんも一度は試していただきたい、大胆に聞こえるかもしれないが、多分、「こんなおいしいものだとは知らなかった」といわれるのが請け合いだ。
 羊は1頭飼育していた。羊という動物はとてもおとなしい。山羊のような足を振り上げたり、つっかかって来ることは見たことがない。「ウン・・・・・」と置いてから、メンメー、メンメー」というかよわな鳴き声は山羊とどこか似ていた。それなのに、人の心を和ませるのは、それがおとなしい限りの、羊のからのものであることが予めわかっていたからなのかもしれない。
 ある日、我が家におじさんが羊の毛皮を買いに来た。その人は、家族みんなの前でやおら大きめのバリカンを取り出すと、左の腕で羊を抱き込みながら、右手にバリカンを持って、どぎまぎしている羊にバリカンを当てた。「ブーン」という音とともに毛皮がベッタリと剥がれていく。
 日頃から手で感触を楽しんでいた毛皮が商品になるのだという。毛皮をはぎ取られた羊はひよわな姿に様変わりしていた。なんとなくかわいそうだった。その羊は、いつの間に我が家からいなくなったのだろう。いつの間に業者が来て売られて行ったのか、それとも他の誰かにもらわれていったのか、今では知る由もない。ある日、気がついたら、目の前からいなくなっていたということであり、別れというものはなかった。
 当時の給食費の支払いは、先生から渡された集金袋にお金を入れて返すことで行われていた。それでは、おカネを入れて持って行けない場合はどうしていたのだろうか。満足に払えない家庭のためを考えて、「減免願」もいつか配られているのを見た気がする。私の家もかねが乏しいことは知っていたので、人ごとではなかった。
 私は、家族が元気で働いていたおかげで、父母は集金袋金を入れて学校に持たせてくれていた。あの頃も、そして今も、減免の願いを持参する級友もいたように覚えている。当時は貧しい家の子供がクラスに何人もいたようだ。外見だけではわからない、人の痛みを推し量れる人になれと常々言われていた。その人たちの微妙な気持ちを考えるとき、慣れ親しんだ人々への同情で、心が一杯になってしまう。
 2000年(平成12年)2月、私は仕事でインドネシアに1週間ばかり出張で行った。そのとき、現地ジャカルタの子供たちを観察していて、複雑な気持ちになった。というのも、朝方ジャカルタの道を歩いていても、一見して子供たちの服装が違う。ランドセルのようなものを持っている子供たちは、気のおけない仲間と連れだって、表情もゆったり、明るい笑顔で通り過ぎていて、なんとなく裕福な家庭の子供であることが想像できる。ところが、目つきの鋭い子供も沢山いる。彼らは粗末な身なりをいて、物売りをしたり、何も持たずになんとなくたむろしていたりする。理由はなんとなく想像がつくではないか。彼らは学校に行ってる用には見えないし、貧富の差がきわめて大きいのは一目瞭然だ。貧困な子供は、ともかく日本で普通に見られるような子供のような純真な表情ではない。
 我が小学校のクラスの花壇では、それぞれの花の植え場所は限られているので、その季節には花々でごったがえしていた。ヒヤシンスが西洋彫刻のような美しい花を付けた。夏はカーネーション、グラジオラスやあさがお(朝顔)が花壇を飾った。あさがおの花は大変面白いが、デリケートな花でもある。竿縦をしていると、1~3メートルの高さに左巻きに蔓が登る。朝はシャキッとしているものの、昼にはヘナとなりしぼんでしまう。可憐なところは春のツユクサと似ている。そろそろ秋に咲くコスモスも枝ぶりを豊かにしつつあって、季節が巡るうちに花壇の花々もまた移り変わっていく。
 夏休みの初めはゆったりと時が流れるものだ。夏休みに交代で学校の朝顔に水をやりに来ていた。色は白、紫、赤であったろうか。グラヂオラスは南国の花のように赤いたたずまいで情熱的な色をしている。それでいて暖かい印象を人に及ぼす。後年、交配された結果めずらしい色の朝顔があるということで驚いた。花壇の花々にはブリキ製のジョウロを用いて水をやった。
 下校のときにも遊んだ。西中から西下への境界あたり、水車のあたりがその場所であった。                 
 「春の小川はさらさら行くよ、岸のすみれやれんげの花に、すがたやさしく色うつくしく、咲いているねとささやきながら」(高野辰之作詞、文部省唱歌)
 村には、水車が二つあった。私はその両方に入ったことがある。ひとつは、北の方から「田柄川」が西下に入ったところの通学路のそばにあった。水車が勢いよく回る季節には、周辺には彼岸花が沢山咲いていた。今ひとつは、同じ川をさらに400メートルくらい下ったところの西下公会堂の近くにあった。この南の方の水車の回りには、その季節、菖蒲(しょうぶ)が咲いていた。
 今から思えば、近づいて手で触れようとするなど、水車に巻き込まれかねないような危険なことまでしていた。昔から、男の子の何人かは何らかの事故で大怪我をしたり死んだりすると聞いているが、当時においても危険ととなり合わせの遊びがあった。
 楽しいところでは、この学年であったろうか、家庭科の実習で料理を作った。りんごのジャムをつくった。まずはりんごを摺っておろし、それを小さな鍋に入れて暖め、味を引き立たせるために砂糖も入れる。それから、自然にゆっくり冷やすとできあがる。学校給食でパンが出ていたので、先生から、それに小さなマーガリンとかジャムをつけて食べることを教えられた。そのようなことも幸いして、男子も厨房に入って料理にいそしむことを学び、家でも野菜を刻んだり、そのほか母の料理を手伝うのになれていったような気がしている。
 家庭科には、裁縫の時間もあった。こちらは、刺繍を造るのが大のお気に入りだった。裁縫枠(木の丸い枠)で布を囲んで浮き上がらせ、その中に糸を繰り返し通して花柄などをあや取っていく。デザインの種類はとにかくいろいろあった。それらを見よう見まねで試みる。その労を厭わなければ、創作の喜びは至る所にあるものだ。
 おかげで、今でも家内が不在なときにほころびを見つけたら、一つ縫いつくろってみようかという気持ちにもなる。このような習慣が、広い意味で自分の身についた一つの技術であるのなら、ありがたいことだ。
 理科の授業のなかでは、講堂の壁に置いてあったテレビを観に行った。テレビはかなり高いところにしつらえられていて、前後に行儀よく並んで、膝を抱えて座り観た。騒ぐ人はいなかった。その頃の子供は、「ここぞという時」には親の躾けがしっかりしていたのかもしれないし、先生の指導が行き届いていたのかもしれない。

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