96『自然と人間の歴史・日本篇』室町時代の一揆(山城の国一揆など)
1485年(文明17年)に起きた山城の国一揆もこの時代に起きている。こちらは反乱にとどまらず、地方レベルながら、政治的な支配まで進んだ。『大乗院寺社雑事記』に、こうある。
「文明十七年十二月十一日、今日山城国人集会す。上は六十歳、下は十五六歳と云々。同じく一国中の土民等群集す。今度両陣の時宜を申し定めんが為の故と云々。然るべきか、但し又下極上の至也。両陣の返事問答の様如何、未だ聞かず。
十七日、古市、山城より帰陣。六十三日の在陣なり。筒井同じく退散す。十市同前。越智も同じ。両陣の武家衆各引き退き了ぬ。山城一国中の国人等申し合す故也。。自今以後に於ては両畠山方は国中に入るべからず。本所領共は各々本の如くたるべし。新関等一切これを立つべからずと云々。珍重の事也。文明十八年二月十三日、今日山城国人、平等院に会合す。国中の掟法猶以て之を定むべしと云々。凡そ神妙なり。但し興成せしめば天下のため然るべからざる事や。同年五月九日。山城国の寺社本所においては、神領の内たりと雖も両三社の外は、諸入紐・年貢・諸公事以下、午の年 文明八年 一年中は半済たるべく候。この趣、奸謀なく、速かに以て惣国に処して納めらるべきものなり。よって国の定、件の如し。卯月十一日、総国月行事、判」
山城国(現在の京都府)南部地域において、国人(地侍)と農民が共同戦線を張って守護の畠山氏に相対峙した。彼らは、ほぼ8年の間、畠山の影響力を排除して、自治を行った。
(続く)
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