🔶340『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ南北戦争当時の奴隷制

2022-02-28 17:16:51 | Weblog
340『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ南北戦争当時の奴隷制

 はじめに、アメリカの南北戦争が開始された当時の奴隷制の実体について、大まかに掴んでいただきたい。1860年の国政調査の結果があって、それにはこうある。

 「1.サウスカロライナ州、自由人301,271人、奴隷402,541人、総人口703,812人、奴隷人口比率57.2%。
2.ミシシッピ州、自由人354,700人、奴隷436,696人、総人口791,396人、奴隷人口比率55.1%。
3.ルイジアナ州、自由人229,164人、奴隷435,132人、総人口964,296人、奴隷人口比率45.1%。
8.バージニア州、自由人1,105,192人、奴隷490,887人、総人口1,596,079人、奴隷人口比率30.7%。
9.テキサス州、自由人421,750人、奴隷180,682人、総人口602,432人、奴隷人口比率30.0%。
合計(15州)、自由人8,289,953人、奴隷3,950,343人、総人口12,240,296人、奴隷人口比率32.2%。
(出典:エドウィン・ハーグ・シャイマー「奴隷人口地図ーアメリカ合衆国南部諸州(Slave Population kf the Southern States of the US )」リトグラフ(66cm×84cm)、1889を紹介し引用しているのは、ジェリー・ブロットン著、斎藤公太他訳『新世界地図』河出書房新社、2015。なお、原データは“Census of 1860”。)

 このジェリー・ブロットンの著によれば、「南部諸州では平均して人口の30%以上が奴隷だった」とされる。

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 その後の経過についても、以下に簡単に触れておこう、南北戦争中の1863年1月には、緊急に奴隷解放宣言を出したものの、この時は当時の北軍の支配圏内にいる黒人奴隷を解放するものではなかった。前述のようにその文面は「1863年1月1日に、合衆国に対し謀反(むほん)の状態にある州あるいは州の指定地域の内に奴隷として所有されているすべての人は、その日ただちに、またそれより以後永久に、自由を与えられる。」(邦訳は、小川寛大「南北戦争ーアメリカを二つに裂いた内戦」中央公論新社、2020)となっていたのだが、それは一過性のものとなってしまう可能性があった。
 そこで包括的なものとするべくリンカーン政権(共和党)は、1865年1月31日に、憲法修正第13条を議会で成立させた。そこには、「奴隷制および本人の意に反する苦役は、適正な手続きを経て有罪とされた当事者に対する刑罰の場合を除き、合衆国内またはその管轄に服するいけなる地においても存在してはならない。」(前掲書での訳文)と定めてある。

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 なお、南北戦争に込めた南部連合の思惑なり、狙いについては、どんなであったのだろうか。顧みると、南北戦争の開戦前のアメリカの州の数としては34州であった、そのうちの南部の13州については黒人奴隷を使っての、綿花栽培を始めとしたプランテーション経営を多分に行うようになっていた。当時イギリスに住んでいて、国際労働者協会の立場でアメリカ政治を見守っていたマルクスは、国を北部(人口は約2200万人)から分かとうとするアメリカ南部(約900万人)の狙いを、こう指摘している。

 「南部における本来的な奴隷所有者の数は、30万人をこえない。それは少数者の寡頭支配であって、それにたいしては幾百万の、いわゆる「貧乏白人」が対立しており、その数は土地所有の集中によってたえず増大し、その状態はローマの最も衰退した時代の平民のそれとのみ比較しうるほどのものである。」(マルクス、墺(オーストリア)紙「ディー・プレッセ」(1861年10月25日付け)への寄稿より)

 引き続き、マルクスは次のように述べている。
 「奴隷所有者の党にとっては、彼らがこれまでに支配してきた地域を一つの自立的な諸州連合に統合し、連邦の上級権力から脱却することのみが問題であると、こう世間では信じている。これほどひどい誤りはない。(中略)分離主義者たちはケンタッキーになだれ込んだ。彼らはその「全領域」なるもののうちに、まず第一に、デラウェア、メリランド、ヴァージニア、ノース・カロライナ、ケンタッキー、テネシー、ミズーリ及びアーカンソーの、いわゆる「境界諸州」すべてをふくませている。(中略)いわゆる境界州はすべて、南部連合領有のものを含め、断じて本来的な奴隷州ではない。それらはむしろ、奴隷制度と自由労働制度が並んで存在し、支配権を目指して闘争している合衆国の領領域なのであり、南部と北部のあいだの本来的な戦いの場となっている。このように、南部連合の戦争は断じて防衛のための戦争ではなく、どちらかというと、侵略戦争、奴隷制の拡大とその永続のための侵略戦争なのである。」(カール・マルクス、墺(オーストリア)紙「ディー・プレッセ」(1861年11月7日付け)への寄稿より)


(続く)

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