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◻️41の2『岡山の今昔』長尾の農民一揆(1752)

2019-11-04 22:02:42 | Weblog
41の2『岡山の今昔』長尾の農民一揆(1752)

 さて、現在では、高梁川の西岸、新倉敷駅や山陽道ICなども配置される、倉敷市玉島エリアの中枢となりつつある長尾。ここは、江戸時代の中期に丹波亀山藩(現在の京都府)5万石のうち、1万2000石分の飛び地として、玉島村、上成村、長尾村、東勇崎村などで構成されていた。
 当藩の領国支配は、奉行所(同藩の陣屋)を中心に行われ、奉行など、上方の役人は、丹波亀山より派遣され、その他の役人は、現地玉島の者、中でも庄屋に多くの業務を請け負わせていた。ここ長尾村については、二人の地主がほぼ全域の農地を所有していたから、村民のほとんどは小作農であったらしい。
 しかして、この地を舞台に、1752年(宝歴2年)に勃発したのが、ここに紹介する「長尾の農民一揆」である。
 発端は、近年うち続く飢饉により、農民たちは、集団をなして、大地主の二家に対し小作料の減免を願い出ていた。ところが、両家は頑張として応ぜず、怒った農民たちは、地主の家を壊すなど、「狼藉を働いた」ということで、後日、彼らは奉行所に引き立てられ、厳しい取り調べが行われていく。
 ここで腑に落ちないのは、同藩の対処であって、かかる農民たちの行為に対し、なんらの解決策を講じようともせずに、ひたすらに農民たちを罪に問うのであった。

(続く)

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