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新495『自然と人間の歴史・世界篇』オストワルト法(硝酸、1903)とナイロンの発明(1938)

2021-12-11 20:54:48 | Weblog
495『自然と人間の歴史・世界篇』オストワルト法(硝酸、1903)とナイロンの発明(1938)

 アンモニアを原料にして硝酸をつくることができれば、ということで、ドイツの化学者オスワルト(1853~1932)が、1903年、硝酸を安価に製造する技術を発明した。これを『オスワルト法』または『アンモニア酸化法』と呼ぶ。その反応の過程は、次の三段階をたどる。

①アンモニアを酸化

 まずは、原料のアンモニアを約800℃の高温にて空気中の酸素で酸化する。そうすると、アンモニアは一酸化窒素となり、水も生じる。この反応の触媒としては、白金(Pt)が用いられる。

①式:4NH3+5O2→4NO+6H2O

 次に、一酸化窒素NOから二酸化窒素をつくる。具体的に、①で得られた一酸化窒素を空気酸化する方法としては、かかる反応後の混合気体を約140℃以下に冷却し、①の生成物の一酸化窒素が未反応の酸素と結合して二酸化窒素になり変わる。

②式:2NO+O2→2NO2

 さらに、二酸化窒素から硝酸をつくる。具体的には、②で得られた二酸化窒素を約50℃の温水に吸収させることで、硝酸(HNO3)を得る。

③式:3NO2+H2O→2HNO3+NO

ここで、③で生成されたNOは捨てずに、②のNOに使われる。そして。この操作を繰り返すことによって、原料のNH3をすべてHNO3に変化させる案配だ。
 以上を①式、②式及び③式をまとめると、①式+②式×3+③式×2より、
NH3+2O2→HNO3+H2O  
オストワルト法の原料はNH3、目的はHNO3であるので、途中の形成物質であるNOとNO2は別扱いとなろう。


 この発明により、アンモニアさえ調達できれば、硝酸を大量につくり、その硝酸から各種方法により硝酸カルシウム(Ca(NO3)2)や硝酸ナトリウム(NaNO3)などの窒素肥料を大量につくることが可能になったのだ。

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 ウォーレス・ヒューム・カローザス(1896~1937)は、アメリカの高分子化学者だ。父の教える商業学校で学んだ後、大学へ行きたいのを我慢して、簿記の学校へ入る。そこて、アルバイトとして行ったターキ大学の商学部の助手になったのが幸いした。助手として働きながら、同大学の理学部の学生となることができたのだ。
 1920年には、ターキオ大学を卒業し、イリノア大学院で化学を専攻へ進み、1924年学位を取得後、ハーバード大学で教授を務めていたところ、1928年にデュポン社の基礎研究プログラムの有機化学班長として迎えられた。
 翌1929年には、当時は、まだほとんどわかっていなかった高分子有機化学のうち、重合を付加重合と縮合重合の二つのタイプに分類するのに成功した。付加重合の研究からは、合成ゴム・ネオプレンがつくられる(1931年工業化)。

 それからの縮合重合の研究においては、天然の絹糸に似せた新しい繊維をつくろうと、あれこれと分子設計してみる。けれども、アミノ酸のように異なった種類の連結器を持った化合物はなかなか見つからなかった。それがある時、「それは、一つの分子の両端に、ちがった種類の連結器がなくたって、一つの分子の両端を1個ずつ持った、ちがった種類の分子でもよいのか」(米山正信「子どもと一緒に楽しむ、科学者たちのエピソード20」黎明書房、1996)と考えたという。

 そのような考えで、カロザースら開発チームは、様々な種類のジアミンとジカルボン酸の組み合わせによる合成実験・反応を繰り返しまた繰り返しで試みる。その中から、ジアミンの一種であるヘキサメチレンジアミンと、ジカルボン酸の一種としてのアジピン酸との2種を化学的に連結させると、最も良い糸状の繊維ができることを発明した。
 こうして、ポリアミド系合成繊維ナイロン(通称ナイロン6,6)をつくるの成功する、まさに「世紀の出来事」だった。

 その開発チームを指導したカローザス自身については、1936年に結婚するのだが、研究で疲れた身の癒しを求める彼としては社交の場は馴染まなかったようで、うつ病が高じて1937年に服毒自殺をしてしまう、その翌年、ナイロンはデュポン社から大々的に発表され、そして、父をしらない娘、ジェーンが生まれたのだという、

(続く)

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