○○501『自然と人間の歴史・日本篇』郵政民営化(2007)

2016-09-19 10:16:54 | Weblog

501『自然と人間の歴史・日本篇』郵政民営化(2007)

郵政の民営化は、小泉政権下の2007年10月に郵政民営化関連法の施行によりスタートしました。その主内容は、国営だった郵便事業を業態によって分割することでした。具体的には、持ち株会社の「日本郵政」と、その傘下会社としての「郵便事業会社」(手紙や宅配便を集配)、「郵便局会社」(窓口業務)、「ゆうちょ銀行」(銀行業務)、そして「かんぽ生命保険」(簡易保険)4社がこれにぶら下がる形になりました。
 ここで各社の株式はとりあえず政府が全部保有しますが、おりを見て日本郵政については政府の持ち株は3分の1超とし、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式については売却して民営にしようというものです。このうちゆうちょとかんぽの民営化は、期限が決められていて、2017年9月までに全株を売却することになりました。
 郵政民営化の前は、自民党の中でたしかにいろいろよろしからぬ事が行われていました。それが、この郵政民営化の流れになっていく中で、自民党の小泉政権内での多数派形成(総選挙の前の郵政を巡る同党の国会議員に対する踏み絵、そして選挙実施での郵政民営化の大合唱による。)の過程では、それまでの自民党の郵政の組織ぐるみの選挙手法が糾弾されました。
 小泉首相はまた、国会議員の私設秘書を斡旋利得処罰罪の対象に加える考えを表明しました。特定郵便局をめぐっては、「ただでやってるんだから税金を納めなくてもいいんではないか」との声が出され、郵政民営化を批判し抵抗する議員は自民党を離党していきました。また、郵政民営化を認めるなかにも、この先採算だけを考えたことになると、僻地の農村山村には郵便物がとどかなくなるのではないかという懸念も出されました。郵政民営化は地方にはコミュニティそのものである、との問いかけがありましたが、議論はかみ合わないまま自民党の衆議院選挙大勝による大合唱にかき消されてしまった感ががあります。
(2)なぜ郵政民営化なのかで錯綜する議論
では、もっと切り込んだ郵政民営化への疑問はなかったのでしょうか。その論点は幾つか幾つかに分かれます。ここでは、その幾つかを紹介しておきましょう。
 「郵貯の完全民営化などできない相談かもしれない。220兆円の郵便貯金と120兆円を超える簡易保険の資金は、利回り1.2%程度の国債購入を完全民営化ののち、続けられるはずはない。オーストラリアの銀行の定期預金は6%の年利である。為替リスクをおかして海外に大量に流れ、国債が売られたら、金融は大きく混乱する。したがって民営化と言っても、例によって財務省は、がんじがらめに規制することであろう。成長分野での進出、例えば国際化なども時おそく、能力の点でも幻想であろう。」(伊東光晴「日本経済を問う」岩波書店、2006)
 「第一の預託義務廃止は「資金を公から民に回すために民営化が必要」という議論の論拠が失われたことを意味する。
 しかし実際には、財投機関に対する資金供給は続けられている。その仕組みが存続する限り、郵貯の経営形態いかんにかかわらず、資金はこれらの機関に供給し続ける。問題は、郵貯を民営化することではなく、この仕組みの改革なのだ。そこで、やや技術的になるが、これについて説明しよう。
 これは「財投債」という仕込みである。財投債は国債の一種であるが、一般会計の財源になる国債と区別するために、このように呼ばれる。これによって調達された資金は、財投機関に融資される。他方で、郵便貯金に対しては、このように呼ばれる。これによって調達された資金は、財投機関に融資される。他方で、郵便貯金に対しては、時限措置ではあるが、財投債の引き受け業務が課されている。そして、財投債の引受先で最大のものは、郵便貯金である。つまり、これは旧来の運用部融資と実質的には同じものなのだ。
 この仕組みが、私がかつて提案した財投機関発行の債券とは「似て非なるもの」であることに注意しよう。私が提案した債券は、その後「財投機関債」という名称で実現している。財投機関債の眼目は、「市場で資金を調達できない機関は廃止に追い込まれる」ということである。つまり、機関存続の判断を、政府から市場に移すことだ。
 これに対して、財投債は個々の機関が発行するものではないから、このようなメカニズムは働かない。財投機関をひとくくりにした一般的な債券では、市場が個々の機関を評価することはできないのだ。そのうえ、郵便貯金に引き受け義務が課されているから、資金調達は保証されたことになる。「その仕込みが存続する限り、郵貯の経営形態にかかわりなく、資金は公に回され続ける」と述べたのは、このような意味である。資金供給を絶つことによって財投機関を整理したいのであれば、財投債を廃止することが、どうしても必要である。」(野口悠紀雄「日本経済は本当に復活したのか」ダイヤモンド社、2006)
 「さらに次の点を注意したい。「資金運用部のルートがいまや存在しないが、その代わりに債券発行で従来の仕組みが維持されている」ことを知っている人も、次のように考えているかもしれない。
 「確かに、資金運用部のルートに代わる資金供給ルートがつくられ、それによって、財投機関への資金供給が続けられているのは問題だ。しかし、郵貯を民営化すれば、このルートも狭まるに違いない。なぜなら、民営化によって意思決定の自由度が増大し、財投債の引き受けを拒否したり、有利な条件を要求したりすることができるからだ」
 しかし、この期待は間違っている。これを理解するには、次の2点を理解する必要がある。第一に、郵便貯金はその大部分を国債に運用せざるを得ない。そして第二に、財投債も一般の国債も、金融債として見れば同じものである。したがって、郵便貯金が国債を購入する際に、「一般の国債は購入するが財投債は購入しない」という判断は原理的に働くはずがない(また、当然のことながら、「一般の国債は購入してよいが、財投債は購入してはいけない」という制約もかけられない)。
 だから、財投債は発行される限り、国語も購入され続ける。したがって、郵貯が民営化されたところで、そして、郵便貯金の引き受け義務がなくなったところで、資金の流れは変化せず、財投機関は存続することになるのだ。」(野口悠紀雄「日本経済は本当に復活したのか」ダイヤモンド社、2006)
 「他方で、政府部門(国及び地方の一般会計など、非企業的な会計)は、高度成長期には、資金過剰ないしは均衡部門であった。実際、国の一般会計は、長期ににわたって超均衡財政を続け、国債を発行しなかった。
 しかし、この状況も一変した。そして90年代の後半以降、政府部門の資金不足は拡大した。大量の国債発行を反映して、金融機関の国債保有は、預金の増加を上回るスピードで増加し、その結果、資産に占める国債の比率は顕著に上昇した。
 以上で見た貯蓄・投資パターンの変化は、きわめて大きなものである。現在の条件下では、郵貯と民間金融機関は競合しているとは言いがたい。むしろ補完関係にあると言うべきだろう。」(同)
 それでも、小泉内閣は「郵政は嫌いだ」と言わんばかりの感情論で突っ走り、2005年8月に郵政民営化法案の否決を理由として衆議院の解散に打って出ました。しかし、なぜか国民の批判は彼ら推進派の本丸までは届かずに、またかれの派手な「郵政がおかしい」パフォーマンスに国民が揺り動かされたのか、選挙は「小泉チルドレン」を含め自民党が大勝、その直後の2005年10月の国会にて、郵政民営化法が成立してしまいます。ここから今日まで我々勤労国民の心を悩ませている、この長い行程がそのとき始まったのでした。
 もともと、この郵政民営化が理論的にしっかりした内容を持っていないものであるだけに、小泉内閣からこの民営化がスタートし阿部内閣、そして福田内閣、さらには麻生内閣へとバトンタッチしていく中で、これまで推進派としてまとまっていた自民党内でも、見直しを巡って意見がばらついてきました。まさに無責任、大政翼賛の「小泉イズム」に踊らされたのでした。
 このように保守の中で意見が割れてしまうのは、民営化を次の段階へと進めようとするグループと、それを引き戻そうとするグループがいるからです。麻生首相すらが、当時からあれでいいとは思っていなかった、などと無責任なことを言っている位ですから、保守勢力内にも相当の軋轢が残っていて、いまそれが吹き出してきているのでしょう。
 郵政民営化に限らず、なんでもかんでも民営化と言っていた火の勢いは2007年から経済状況が景気後退色を強めている中で、次第に下火となってきました。かつての推進派の論客を含めて、将来の株式公開でアメリカ資本による買収の懸念(野党の国会質問)に対し、「アメリカの人たちもそのときはアプローチをしてきてもらってかまわない」(小泉首相)と達観していましたが、それがアメリカの「ハゲタカ・ファンド」にどのように聞こえたのかはわかりません。それから約2年を経た今、2009年半ばの経済状況ではそんなことを無神経に言える雰囲気ではないことでしょう。
(3)鳩山・民主党を中軸とする連立政権による郵政民営化路線のストップ
 09年9月に発足した鳩山連立政権は、さっそく株式売却の凍結や、4分社化の基本の枠組みを見直すことで一致した行動を取り始めています。

(続く)

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