○○29『自然と人間の歴史・日本篇』縄文時代の文化

2017-07-29 21:53:39 | Weblog

29『自然と人間の歴史・日本篇』縄文時代の文化

 縄文時代の文化の特徴ないし「妙」とは、何であろうか。現代人のそれへの思いを育んでくれそうなもにのに、土偶がある。土偶というのは、粘土で作り、焼いた人形である。現代人から見ると、高度な技術と芸術性の体化したものとして作られたと考えがちだが、おそらくそうではあるまい。もっと素朴なものとして観賞するものとしてあるのではないか。
 土偶は、何しろ日本列島の東半分を中心に、全国各地の縄文遺跡から発掘されている。個数は、万を下るまい。遺跡年代は、今から一万五千年程前頃に始まり、その後一万二千年以上もの長い間続いた。人々は、竪穴式住居に住み、土器を作って食べ物を煮炊きし、採集狩猟(海川のものや森、空を飛ぶものものなど)、もしくは栗などの自然果実の栽培を生業(なりわい)にして生活をしていた。

 土偶は、そんな縄文時代の人々が、何か大事なもののために、作っていたものだと考えられるのだが、その何かについては、諸説があって、未だにはっきりしていない。姿かたちのバリエーションは実に豊富で、縄文時代の時期によっても、地域によっても、形が随分異なる。大きさも、数センチのものから40センチメートル以上のものまで出土しているとのこと。現代人にの想像をかき立てる、国宝土偶の5体を始とするものからは、古代人の美意識の片鱗が伝わってくるかのように感じられる。
 国宝「縄文のビーナス」は、長野県茅野市棚畑遺跡から出土した。縄文集落の中央部の穴から、ほぼ完全な姿で発見された。推定年代は、紀元前12000年前頃から紀元前300年頃までのどの時点かであって、はっきりしていない。この像は、出産や生命繁栄への祈りを表しているのかもしれないし、人間の姿には見えないものもたくさんあり、何らかの精霊を表したものなのではないかとも。これを拝見した時の自身の手記に、こうある。
 「2000年10月21日の午後10時から教育テレビで「縄文のビーナス・火焔(かえん)土器」の放映がありました。5月1日に両方とも上野の国宝展で見ていたので、今度は余裕を持ってしっかりと理解することができました。
 20センチメートルを超える寸法の土偶を「大型土偶」といい、個人ではなく共同体の祭祀に用いられていたのではないかとナレーター氏がいう。いまから6千年も前に縄文のビーナスの前で人々が何やら祈りを捧げている光景が目の当たりに浮かんできて、しんしんとした感情に浸りました。
 博物館ではビーナスの表情を何度ものぞき込みました。20センチくらい離れたガラス越しの観察でした。子供のころに昆虫の目を見た感覚がよみがえってきました。胴体のくびれは圧倒的なまでの豊穣さで、解説者の言われたことに同感です。頭の上の部分にはぐるぐる巻き、その下にはS字の模様が施されていました。輪廻転生の願いが込められているのでしょうか。少し離れて見ると、前から、横から、後ろから、その三態の変化を楽しむことができるたぐいまれな土偶に違いありません。
 唯一、ナレーターと解説者が触れなかった印象について述べてみますと、それは当然のことながら縄文のビーナスが小麦色の裸をしていました。小学校や中学校の教科書には必ず出てくる国宝の埴輪像も陳列されていたが、それは兵士のような姿をしていました。
 それにひきかえ、かのビーナスは裸一貫のほかは何ものも身にまとっていません。相対する人間もまた裸の姿で向かい合うのが順当となのかもしれませんね。そんな想いさえ、どこからともなくやってきて脳裏をよぎっていきました。人は裸で生まれ、また裸で死んでゆかねばなりません。テレビ画面を見ていて、生きてあるうちにおまえは何をするかとビーナスに問われているような気がしました。」
 国宝「縄文の女神」(じょうもんのめがみ)は、西ノ前遺跡(集落跡)(山形県最上郡舟形町)から出土した、土製素焼きの土偶である。作られた年代は、縄文時代中期の約4500年前と見られている。この頃までの土偶には、顔らしきものが付いていないのが多くあるらしい。胴は逆三角形の薄い板状となっていて、背筋はすっくが伸びている。これに半円形で扁平な頭が乗っている。顔面はのっぺらぼうで、表情というものは略された形だ。頭部の周囲には円い穴が連続していることから、帽子のようなものを被っていたのであろうか。下半身はと言うと、尻は控えめ、脚は堂々と直立しており、なおかつ長い。高さは45センチメートルあって。立像では現存最大の高さを誇る。威風堂々たる体躯(たいく)といえるだろう。出土した時は五片に請われていたが、接合して復元がかなった。この像には、豊饒(ほうじょう)を願う人々の気持ちが凝縮されているのだと評される。
 国宝「仮面の女神」(かめんのめがみ)は、長野県茅野市の中ッ原遺跡、集団墓地の一角から出土した。縄文時代の後期、紀元前2000~前1000年のものと見られている。高さは34センチメートルある。顔面に特徴があって、頭部の前に逆三角形の扁平な仮面を被っているように見える。頭にベルト付きの仮面を被っていることから、その仮面を頭の後ろでゆわえていたものか。下半身は図太くできていて、臍(へそ)や臀部(でんぶ)は安産型の女性をイメージしているのであろうか。全体としてのいでたちから推測するに、何かの儀式の主役、あるいは冥界へ行く時の魔除けの役割を演じる役割で作られたのかもしれない。
 国宝「合掌土偶」(がっしょうどぐう)は、青森県八戸市風張遺跡から出土した。縄文時代の後期、紀元前2000~前1000年のものと見られている。こちらは、中年以降の女性であろうか、祈りのポーズをとっている。
 国宝「中空土偶」は、北海道函館市著保内野遺跡から出土した。縄文時代の後期、紀元前2000~前1000年のものと見られている。41.5センチメートルある。髪型の部分と手が欠損しているものの、全体像は確かだ。中空の構造となっていて、墓に埋まっていたことから、死者を某か弔うためであろうか。
 さらに現代人に人気が高いということでは、明治年間に、青森県つがる市亀ヶ岡遺跡から出土した「遮光器土偶」(しゃこうきどぐう)がある。高さこそうるふ34.2センチメートルながら、肩、両の腕を張り出し、どしんと構えている。最大の特徴は、である。現代風のスノーゴーグル(護眼器)を眼に架けているように見えることから、この名が付けられたらしい。兎に角眼が大きくて、眼部の誇張が尋常ではない。まぶたが上の方からと下の方からとが真ん中で出会うようにして、閉じられている。堂々とした姿形にしてこのどでかい眼ということなので、何かを守ろうとしてのことなのだろうか、尚更周囲ににらみを聞かせているような印象を与える。

(続く)

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