心の中で線を引く 日本語は面白い表現をする。
新幹線に乗る。自分の座席はここまで。。。。と、心の中で線を引く。
隣に乗り合わせた人が大雑把な人だと、こちらのつもりの線を越境してくる。不快になる。
生徒を持つ。向学心のある、若い生徒達と接すると、何かをしてあげたい という、気持ちになってくる。しかし、どこかで、線を引いておかないと、自分でも知らないうちに、越境してしまうような危惧を覚える。
息子にしてもしかり。難しい。
小学校から高校まで、多感な時期、また生活習慣や学習習慣など、生活の基本的な姿勢が身につく時期を米国で過ごした息子は、アメリカ人の発想を持っている・・・と、気づいている。しかし、日本語は上手だし、ましてや、日本人だと思うから、すっかりこちらに順応したものだと思っていた。
ああ・・・勘違い。物事はそんなに簡単ではない。
慣れない定期試験の期間は相当なストレスにもなるのだろう。彼はいつも、この時期に奇抜なアクションを起こす。
自分は表現者になりたいという。
日本人として持つ、私の理想の高校生像がガラガラと音を立てて崩れていく。
では、これがよそのお子さんだったらどうだろう。自分の息子でなかったら。
少なくとも、息子は自分ではない。いくら親とはいえ、線を引かなくてはならないだろう。しかし、今の私にはカウンセリングが必要な気がする。正しい知識を身につけ、正しく帰国子女と向き合う方法を身に付けないと、その言動と、自分の理想とのギャップに参ってしまう。
羅針盤を持たずに大洋を彷徨している感じすらしてくる。
とりあえず、線だ。線を引くんだ。
こういう取り留めのない考えにも線を引く。味覚の秋。天高く誰でも肥えるから気をつけなければならない、美味しいものいっぱいの秋。美味しいもの食べて幸せになろう。
今はとりあえずこういう方法しか思い浮かばないなあ。