どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

お墓参り

2005-11-21 17:04:53 | なっとくる

同い年の友人のお墓をお参りした。小学校の友人が同行してくれた。高校も同じで、明るく優等生だった友の墓石は、まだ若かったからか小さかった。名前も戒名も彫られては居なかった。 5年前に会った、小学校の友人の墓はまだ新しかった。南向きの丘陵にあり、高みの見物をしているような立派なお墓だった。その下に、友達が居ると思うと、悲しくなる。晩秋のお墓は冷たくて、寒い。きっと、そこが入り口で、天国で幸せに暮しているに違いないと思った。

母が亡くなった時、母の人生は幸せだったか?と考えた。私は、どんな娘だったろう。もっと、できることは有ったし、何よりも期待に添えない娘であったことを悔やんだ。

でも、その時に思った。もし、私が、他の人から、あなたの人生は、幸せだったとか違ったとか言われたら・・・・・・そんなことはあなたには理解できないはずだし、考えていただくこともご遠慮したいと、言いたくなるに違いない。

だから、それからは、いろいろと考えないことにした。ただ、行ってよかった。友人と二人で、亡くなった友の話をたくさんしたのも、嬉しかった。

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老いる

2005-11-21 16:47:39 | かたまった

法事は、近況報告の場と考えている。だから、おばたちの話の中心は今の自分の生活であり、母の思い出話ではないことは、容易に受け入れられた。

父もそうだが、独居のおばは寂しそうだったし、顔は穏やかになるどころか、悩みや考えることが多いのだろう、厳しい目をしていた。

ひとりのおばは、完全に痴呆症にかかっているようだった。話の途中から、誰と話をしているのか分らなくなるようだった。そこに居た誰もが、あなたは誰ですか?と聞かれた。しかし、よく聞いていると、彼女はもう何年も前に自分を置いているようだった。亡くなった夫も生きているし、失った自分の息子も生きている。子供たちは母親のために家事を手伝い、褒めてあげたことを喜んで喋っていた。顔はまるで、童女のようで、体も小さくなっていた。

彼女の姉妹たちは、壊れていく彼女を許せないのだろう。説得したり、教え込んだり、叱責したりしていた。すると、子供が叱られたような悲しい顔をしていた。叱るおばたちも、自分の老い先を見てしまうようで、不安なのかもしれない。

法事の時にしか会わない私はこんなに、呑気でいられるが、近くに居る家族は悲しいし、戸惑うし、どうしようもないのだろうと、感じる。

 

 

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日本で

2005-11-21 16:22:22 | 徒然に

日本に帰国し、またこちらにやってきた。小学校、高校時代の友人に会い、母の法事をし、アメリカでできた友人に会い、兄が用意してくれた日本酒を持って帰ってきた。

日本は晩秋だった。友人とは昔話に花が咲き、近況を言える範囲で語りあった。それぞれが、人に言えない悩みを抱えているようでもあった。悩みって人に相談できるときは、自分で解決の方法や方向性を探し出した後だとは、よく聞く。確かにそうなのかもしれないと思った。

和食、中華とたくさん食べた。ケーキもモンブランばかり、何個も食べた。ってなんか、私をひきつける力を持っている。

豊かだなと感じ、やっぱり故郷、居易さを感じた。とにかく、よく眠り、よく食べた8日間だった。

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