法事は、近況報告の場と考えている。だから、おばたちの話の中心は今の自分の生活であり、母の思い出話ではないことは、容易に受け入れられた。
父もそうだが、独居のおばは寂しそうだったし、顔は穏やかになるどころか、悩みや考えることが多いのだろう、厳しい目をしていた。
ひとりのおばは、完全に痴呆症にかかっているようだった。話の途中から、誰と話をしているのか分らなくなるようだった。そこに居た誰もが、あなたは誰ですか?と聞かれた。しかし、よく聞いていると、彼女はもう何年も前に自分を置いているようだった。亡くなった夫も生きているし、失った自分の息子も生きている。子供たちは母親のために家事を手伝い、褒めてあげたことを喜んで喋っていた。顔はまるで、童女のようで、体も小さくなっていた。
彼女の姉妹たちは、壊れていく彼女を許せないのだろう。説得したり、教え込んだり、叱責したりしていた。すると、子供が叱られたような悲しい顔をしていた。叱るおばたちも、自分の老い先を見てしまうようで、不安なのかもしれない。
法事の時にしか会わない私はこんなに、呑気でいられるが、近くに居る家族は悲しいし、戸惑うし、どうしようもないのだろうと、感じる。
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