【掲載日:平成21年10月19日】
・・・筑波嶺に 登りて見れば
尾花散る 師付の田居に
雁がねも 寒く来鳴きぬ・・・
【「しづくの田居」下志筑より筑波山を望む】
秋も深まり 説話伝承の収集は 一区切り
あとは 整理 編み集めの作業
うず高く 積み上げられた 記載帳
所狭しと 広げられた 紙片資料
役目の人の 働く中
虫麻呂の姿は ない
女体を右 男体を左に
二つ峰を 仰ぎ
虫麻呂は 志筑の野を たどっている
〔庇の下は 性にあわぬわ〕
草枕 旅の憂へを 《赴任の旅の 気塞ぎを
慰もる 事もありやと ちょっとの間でも 晴らそうと
筑波嶺に 登りて見れば 筑波の山に やってきた
尾花散る 師付の田居に ススキ田んぼで 揺れとおる
雁がねも 寒く来鳴きぬ 雁も寒そに 鳴いとおる
新治の 鳥羽の淡海も 鳥羽の湖 風吹いて
秋風に 白浪立ちぬ 寒々白波 立っとおる
筑波嶺の よけくを見れば それでも お山は ええ景色
長きけに 思ひ積み来し いっぱい溜まった
憂へは息みぬ 気鬱は消えた》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五七〕
筑波嶺の 裾廻の田居に 秋田刈る 妹許遣らむ 黄葉手折らな
《筑波嶺の 山の麓で 田刈りする あの児にやりたい 黄葉を採って》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五八〕
〔風は いい 気ままに吹けて
雲は いい どこへでも 勝手だ
鳥も いい 山をも越せる
人付き合いは 気骨の折れる ことだ
宇合殿でなければ ついては 来ぬ
独りに 成れぬ ものか〕
筑波嶺 二つ峰の鞍
下り道をたどる 虫麻呂の手に 黄葉の枝はない
<師付の田居・鳥羽の淡海①>へ
<師付の田居・鳥羽の淡海②>へ
以前、タウン紙でも取り上げてましたが、
http://www.joyoliving.co.jp/special/heritage/00049/
こちらを見ていただくか、私のブログを見てください。
http://artstudiohiro.mo-blog.jp/hiro/
どちらが正しいのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
●各種訓読本:田居
・看板は 原文を 採ったと 思われる
・古語で「田圃」は 「田居(たゐ)」
・歌の内容から 「広々と広がる田」なので「田居」としてると 思われる
・田圃の中の井戸or湧水は 歌意に合わない
のでは ないでしょうか