【掲載日:平成22年12月3日】
咲く花の 色はかはらず
ももしきの 大宮人ぞ たち易りける
家持が逼塞を決め込んだ
天平十六年〈744〉四月
帝のおわす 紫香楽宮にて
西北の山で 火事騒ぎ
その後も 山火事頻発
堪らず 帝は 七月難波へ
冬十一月 大仏体骨柱建立の儀 帝紫香楽へ
越年
翌十七年〈745〉四月 周辺山で 相次ぐ山火事
干ばつ 連続地震の発生
五月二日 官人を集め 「都を何処に」の諮問
こぞっての 平城帰還答申
紫香楽 人無く 放火頻々 大仏造立挫折
人々 恭仁を捨て 続々平城へ
五月十一日 帝も後追うように 平城へと
九月 聖武帝 難波にて発病 重体に
政情不安 渦巻く中
皇嗣問題を視野に 奈良麻呂密謀
月末 帝病状回復 密謀不発
こうして
混乱の 天平十七年〈745〉は暮れて行く
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恭仁宮遷都 三年で 宮の造作 中止なり
都流浪の 日々過ごし 一年半で 廃都なる
やっと馴れたる 山暮し 親しみ増した 泉川
捨てて平城へと 戻り行く 荒れた旧都に 佇めば
人去り果てて 山静か 槌音絶えて 瀬音のみ
政争犠牲 民衆強いる 右往左往の 生活の苦労
事を起こすは 皆人の子で 耐えて忍も また人の子ぞ
三香の原 久邇の都は 山高く 川の瀬清し 住みよしと 人は言へども 在りよしと われは思へど
《甕の原 恭仁の都は 山高て 川瀬清うて 住み良いて 皆言うてる このわしも 良えとこやなと 思うのに》
古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり 愛しけやし かくありけるか
《廃都になった 里やから 誰ぁれも人が 通らへん 家もすっかり 荒れてもた なんと儚い ことやろか》
三諸つく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしく
在りが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
《鹿背の山裾 咲く花は 綺麗咲いてる 鳴く鳥の 声も変わらん この里は
昔のままで あって欲し 住み良いとこや 思うのに 荒れて仕舞うて 惜しいことやで》
―田辺福麻呂歌集―〈巻六・一〇五九〉
三香の原 久邇の京は 荒れにけり 大宮人の 移ろひぬれば
《仕えてた 人は皆んな 去ってもて 恭仁の都は 荒れて仕舞うた》
―田辺福麻呂歌集―〈巻六・一〇六〇〉
咲く花の 色はかはらず ももしきの 大宮人ぞ たち易りける
《咲いている 花はなんにも 変わらへん 仕えてた人 居らへんだけや》
―田辺福麻呂歌集―〈巻六・一〇六一〉