令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・青春編(二)(26)たち易(かは)りける

2010年09月07日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年12月3日】

咲く花の 色はかはらず
        ももしきの 大宮人ぞ たちかはりける



家持が逼塞ひっそくを決め込んだ 
天平十六年〈744〉四月 
帝のおわす 紫香楽しがらき宮にて
西北の山で  火事騒ぎ
その後も 山火事頻発ひんぱつ
たまらず 帝は 七月難波へ
冬十一月 大仏たい骨柱こつばしら建立こんりゅうの儀 帝紫香楽へ
越年  
翌十七年〈745〉四月  周辺山で 相次ぐ山火事
干ばつ  連続地震の発生
五月二日 官人を集め 「都を何処いずこに」の諮問しもん
こぞっての  平城帰還答申
紫香楽 人無く 放火頻々ひんぴん 大仏造立ぞうりゅう挫折
人々 恭仁を捨て 続々平城なら
五月十一日 ていも後追うように 平城へと
九月 聖武帝 難波なにわにて発病 重体に
政情不安  渦巻く中 
皇嗣こうし問題を視野に 奈良麻呂みつぼう
月末 てい病状回復 密謀不発
こうして  
混乱の  天平十七年〈745〉は暮れて行く
―――――――――――――――
恭仁宮遷都 三年で 宮の造作ぞうさく 中止なり
都流浪の  日々過ごし 一年半で 廃都なる
やっと馴れたる  山暮し 親しみ増した 泉川
捨てて平城ならへと 戻り行く 荒れた旧都みやこに たたずめば
人去り果てて  山静か 槌音絶えて 瀬音のみ

政争犠牲 民衆強いる 右往左往の 生活くらしの苦労
事を起こすは みな人の子で 耐えてしのぶも また人の子ぞ

三香みかの原 久邇くにの都は 山高く 川の瀬清し 住みよしと 人は言へども りよしと われは思へど 
みかの原 恭仁くにの都は 山たこて 川瀬きようて 住みいて みんな言うてる このわしも えとこやなと 思うのに》 
りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり しけやし かくありけるか 
廃都ふるうになった 里やから 誰ぁれも人が とおらへん 家もすっかり 荒れてもた なんとはかない ことやろか》 
三諸みもろつく 鹿背山せやまに 咲く花の 色めづらしく ももとりの 声なつかしく 
りがし 住みよき里の 荒るらく惜しも

鹿背かせ山裾やますそ 咲く花は 綺麗きれえ咲いてる 鳴く鳥の 声も変わらん この里は
 昔のままで あってし 住みいとこや 思うのに 荒れて仕舞しもうて 惜しいことやで》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五九〉

三香みかの原 久邇くにみやこは 荒れにけり 大宮人おほみやびとの 移ろひぬれば
《仕えてた 人はみいんな ってもて 恭仁の都は 荒れて仕舞しもうた》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇六〇〉
咲く花の 色はかはらず ももしきの 大宮人ぞ たちかはりける
《咲いている  花はなんにも 変わらへん 仕えてた人 居らへんだけや》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇六一〉