豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

水村美苗『本格小説』

2008年09月09日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 妹が、「軽井沢のことが出てくるよ・・・」と言って、「水村美苗」なる著者の『本格小説』という分厚い上下2冊の文庫本(新潮文庫)をおいていった。
 
 軽井沢では優先的に読むべき本があったので、暇な時に上巻の3分の1くらいだけ読んだ。
 正直言って、何でこの本が『本格小説』という題名を名乗り、「読売文学賞受賞!」だったり、「生まれながらにして究極の古典、と絶賛された」のか(いずれも同書の腰巻の文章)、ぼくには分からない。
 
 上巻の3分の1くらいまでは、著者本人らしき人物のアメリカでの生活が書かれている。
 高度成長期に、企業戦士としてアメリカに出陣して行ったサラリーマン一家の物語である。ここは、著者の実体験に基づいているらしく、いわゆる“アメリカ体験物”として、それなりに読める。
 そのうちに、金持ちのアメリカ人に雇われた「お抱え運転手」の「東太郎」という人物が登場し、やがて次第に立身出世をしていく。
 
 この「東太郎」が残りの話の主人公になるのだが、前書き部分からは、この人物の前半生がどんなものだったのか、ぜひ知りたいという気持ちがまったく湧いてこない。
 加えて、後半の「東太郎」の物語を語る「土屋冨美子」と、その話を「水村美苗」に伝えることになる何とか佑介との出会いが、いかにも唐突というか、ご都合主義的である。
 夜道に迷って、追分の別荘の植え込みに自転車を突っ込ませた若い男に、別荘の主である女が、家に招き入れたうえに、突然「東太郎」の話を語り始めるというのである。
 数年前まで女房が熱中していた韓流ドラマの筋立てである。

 その後のストーリーもついていけない。

 どうも著者は、昨今の軽井沢に豪華な別荘を建て、敷地の周囲に鉄柵などを設けるような成金を蔑視して、自分も含めたそれ以前の軽井沢別荘族の優越を示したいらしいのだが、その優越感は、たんに高度成長成金が後から来たバブル成金を蔑むだけにしかみえない。
 後半から脇役として登場する「三姉妹」が何とも蓮っ葉な会話を繰り広げる。旧軽井沢の広い敷地内に二棟の洋館を有する上流階級の老女らしいのだが、彼女らが交わす「女中」談義など、いかにも「品格」がなく、これが延々と続くのにはウンザリさせられる。 
 旧軽井沢族の出自を示すために出てくる「成城学園初等学校」、「教育大学付属中学」、「三菱商事」、「横浜正金銀行」、「貴族院議員」、「東大医学部助教授」などなども、いかにも紙切れ一枚の履歴書風で、登場人物の造形が薄っぺらである。
 「万平ホテル」、「紀ノ国屋」、「栄林」、「スコルピオーネ」なども同様である。それでいて、本来の旧軽井沢族からは顰蹙をかっているはずの「プリンス・ホテル」などを結構ありがたがっている。

 クライマックスの愛の告白シーンも、『嵐が丘』のヒースクリフを気取ったつもりらしいが、舞台がすすきの繁る信濃追分では、いくらヒーローが生蕃の血をひく混血児、縮れ毛の男でも無理がある。
 満蒙開拓団の帰住開墾地である大日向村あたりを舞台にしていれば、まだ少しは現実的だったのに、と思う。

 その他、細かい不満点をいくつか。
 ① この本には、時代背景となる太平洋戦争のことがほとんど描かれていないが、戦時中の軽井沢には合法的に兵役を逃れた上流階級の子弟などが結構いたという。戦前からの旧軽井沢族を描くなら、もっと戦時中のことを書くべきだろう。
 上流階級が暢気な疎開生活を送る一方、スパイが暗躍し、特高の目が光る軽井沢があったはずである。
 
 ② 戦後になって、俗化した軽井沢を嫌って外国人が野尻湖に逃げていったというのは、昭和30年代前半の軽井沢を知るぼくとしては異論がある。昭和30年代前半には、まだ軽井沢には多くの外国人が滞在しており、旧道などでも外国人の老夫婦などが歩いているのをよく見かけた。 
 三笠書房には外国人相手の洋書や洋雑誌が置かれていたし、「紀ノ国屋」ができる前から「明治屋」にはアメリカ人好みの食料が並び、ドイツ人相手の(看板がドイツ語で表記されていた)「デリカテッセン」などもあった。軽井沢から外国人がいなくなったのは、高度成長成金が席巻し始めた昭和35年(1960年代)以降だという印象をもっている。
 軽井沢の上流階級の別荘生活を知りたいのなら、朝吹登美子の『私の軽井沢物語』などのほうがあっけらかんとしていて嫌みがないと思う。軽井沢の戦時中のことは、遠藤周作の『薔薇の館』がいい。 

 ③ 個人的には、土屋冨美子が東京で生活する「豪徳寺」をもっと書き込んでほしかった。成城などとは違った、あの豪徳寺の猥雑さを。 
 
 それでも、軽井沢で上巻の3分の1、帰京してから、大学への往復の車内などで、所々飛ばしながら、残りも一気に読み終えた。
 それは何故だろう。舞台が軽井沢、追分、そして豪徳寺など、なじみ深いところだったこともある。ストーリー展開が、少女マンガか韓流ドラマのようなご都合主義的だったのも読みやすかった一因だろう。
 題名とは裏腹に、《通俗小説》ないし《風俗小説》だったことが、ぼくを最後のページまで辿りつかせてくれたのだと思う。
 
 * 写真は、9月9日に、息子と歩いた旧軽井沢の別荘地の通り。“プリモ”から旧道に向かって歩く道すがら、《重光》という表札の別荘があった。まさかこの本に出てくる《重光》家ではないだろうが・・・。下に小さく《土屋》と書かれた表札はなかった。

 2008/9/9

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