豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

サリンジャー「マディソン街・・・ささやかな反抗」ほか

2021年11月14日 | 本と雑誌
 
 J・D・サリンジャー「マディソン街はずれのささやかな反抗」を渥美昭夫訳で読んだ(『サリンジャー選集(3) 倒錯の森<短編集Ⅱ>』荒地出版社、1993年新装版所収)。原題は “Slight Rebellion off Madison”,1946年,初出は “The New Yorker” 誌。
 鈴木武樹訳『若者たち』(角川文庫)に収められたやつでは、最初の1ページで挫折してしまったので、別の訳者のもので再挑戦を試みた。

 『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・モリシ―・コールフィールドが初めて登場する作品である。彼にはこんなミドル・ネームがあったのか。
 今度は通読できた。通読はしたが、やはり「ニューヨーカー」誌に載せるサリンジャーをぼくは好きになれなかった。世間も「いんちき」かも知れないが、ホールデンも「いんちき」ではないのか。19歳のぼくはホールデンの側に身をおいて読んだのだろうか。
 今となっては思い出せないが、19歳の頃のぼくは毎日日記をつけていたから、ひょっとしたら『ライ麦畑・・・』の感想を書いているかもしれない。探してみよう。


       

 「ぼくはいかれてる」(原題は “I'm Crazy” ,1945,初出は “Collier's” 誌)は、「マディソン街・・・」に続いてホールデンが登場する第2作目(『サリンジャー選集(2) 若者たち<短編集Ⅰ>』荒地出版社、1993年新装版所収、刈田元司訳)。『選集』の邦題は今日的にはちょっと微妙なので、スラウェンスキー『サリンジャー』や鈴木武樹訳『若者たち』の邦題に従った。
 ペンシー校を放校になった主人公ホールデン・コールフィールドが、流感で寝込んでいるスペンサー先生の家を訪ねてお別れを言い、夜中の1時にニューヨークの自宅に帰りつくが、父親から「もう二度と学校には戻らず、父親の事務所で働くよう」に言い渡される。妹フィービーも登場する。
 冬になってセントラルパークの池に氷が張ったらアヒルはどうなるのだろう、と心配するエピソードなど、『ライ麦畑・・・』にそのまま流用された場面も出てくる。
 「コリヤーズ」誌に掲載される短編にはO・ヘンリー的な結末の「おち」が要求されるとあったが(刈田・渥美解説『選集(2)』185頁)、この話にはそのような結末も「おち」もなかった。
 

   *     *     *

 さらに、『選集』の訳者たちが、サリンジャーの考えが原初的な形で示されているという(渥美解説『選集(3)』151頁以下)、「最後の休暇の最後の日」と、これにつづく3部作、「フランスのアメリカ兵」「他人行儀」、サリンジャーの戦争体験(ヒュルトゲン森の戦い)が背景に存するという意味でこれらにつながるという(スラウェンスキー180頁)「エズミに捧ぐ--愛と汚辱のうちに」(野崎孝訳『ナイン・ストーリーズ』新潮文庫所収)も読んでみよう。
 スラウェンスキー『サリンジャー』で気になった「ヴァリオーニ兄弟」「イレーヌ」「ルイス・タゲットのデビュー」、それに処女作の「若者たち」なども読んでみたい。
 これまでサリンジャーの短編をいくつか読んだ経験からは、ホールデンないしグラス家の物語ではなく、サリンジャーの戦争体験、差別体験から生まれた短編のほうがぼくには合っているような気がする。

 2021年11月14日 記


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