徳大寺有恒さんの死亡記事が昨日の夕刊に載った。74歳、急性硬膜下出血とある。
徳大寺さんの本はたくさん買ったし、この“豆豆”でも何度か触れたけれど、かなり影響も受けた。
彼のクルマ評が、ほかのモーター・ジャーナリストたちと決定的に違っていたところは、彼がクルマを「文化」ととらえ、ニッポン社会との関係を常に意識しながら評価しつづけた点だと思う。
彼の本を読むと、ただ懐かしいクルマを思い出すだけでなく、そのクルマが街を走っていた当時の雰囲気がよみがえってくることがある。とくに「間違いだらけの・・・」が最初に出た1970年代後半からは、「クルマ選び」の基準を語っているようで、実はクルマと日本社会との関係を考え続けていたように思う。
彼の言葉のなかで一番印象に残っているのは、ホンダN360に関するもので、「当時の若者の中にはこのクルマでロング・ドライブに出かけた者もあるだろう」という一文である。
まさにぼくも、大学生の時に友人3人で友人のおやじさんのN360を借りて、軽井沢にドライブに行った。最高速度が100km程度の小さな車だったが、狭かった印象はまったくない。ただただ楽しかったことを懐かしく思い出す。
彼には「ぼくの日本自動車史」という本もあるが、戦後の日本のモータリゼーションと軌を一にしてきたわが家のマイカーの歴史も、彼の本によって回顧することができた。
わが家の最初のマイカー、スバル360に乗った、2年前に亡くなった母の写真なども、徳大寺さんの本がきっかけで、このコラムでクルマのことを書くようになったので、再発見したのである。
なかには、長くわが家のマイカーであったカローラを「所有する喜びのないクルマ」などと貶していたが、クルマを所有する「喜び」などに価値を見出さないぼくには痛くも痒くもない評価だった。
むしろ、自分の所有するクルマでしか自己表現できない人が情けなく思われた。
「カローラの中であえて選ぶならランクスだろう」とも書いていた。現在10年目を迎えたわがランクスに決めたのも、この徳大寺さんの言葉の影響かもしれない。
ランクスを選んだことに「間違い」はなかった。
実質的には「間違いだらけのクルマ選び(最終版)」が出た2006年で、ぼくと徳大寺さんの“関係”は終わっていたが、それでも、「次のクルマは何にしようかな?」と考えるときは、いつも徳大寺さんだったらなんと言うだろう?と想像してしまう。
いま、デミオにかなり心が傾いているが、彼はなんというだろうか。そろそろ(いや、実はかなり以前から)彼も日本車を選ぶのは「間違いではない」と思っていたのではないか。
以前、彼がお茶の水界隈の行きつけの天ぷら屋だったか豚かつ屋だったかで食事をしているのをテレビ番組で見たことがある。
「間違いだらけの食生活」と言いたかったが、彼の自己決定であり、ぼくがとやかく言うことではない。
ぼくが徳大寺さんの本に影響を受けながらも、最後は自分でクルマを決めるのと同じである。
月並みだけれど、ご冥福をお祈りしたい。
2014/11/9 記