トマス・モア『ユートピア』(平井正穂訳、岩波文庫)を読んだ。
数日前に、トマス・モアの後半生を描いた映画『わが命つきるとも』を見て、彼に興味を抱いたのが動機である。
アメリゴ・ヴェスプッチの航海に4回とも同行し、4回目の航海の際に帰国を拒んで航海先の赤道直下にある南洋の島国ユートピアに住み着いた船乗りラファエル・ヒスロディから、ユートピア国の風俗や法律などについて話を聞いたトマス・モアがその内容を書きとめた、という形式で叙述された作品である。
1516年にラテン語で出版され、1551年に英訳本が出版されたとある。
「・・・王者の徳において比肩するもののないわがイギリス国王ヘンリ8世陛下」から、カスティリア王との間の紛争について最終的な解決を図るよう命を受けたモアが、まずブルージュに向かいその後はアントワープに滞在している折に、同地でエラスムスの友人と出会い、彼が紹介するラファエルからユートピアの話を聞くことになった。
ーーと、書き出しはヘンリ8世への阿りから始まる。
このユートピアはまさに理想郷なのだが、地形や産業(生業)はイギリスそのもののように描かれている。ただ、政治制度と富の分配は当時のイギリスの現実とは全く異なっている。ユートピア国は、実はモアが考える理想のイギリスの姿なのであろう。
ユートピアでは、財産の私有は廃止されており、全ての財産は国民の共有となっている。貨幣や貴金属に価値はなく、金は便器に使われ、宝石は赤子の首にぶら下げられている。人々は人間性と隣人愛に基づいて交際し、法律は必要最小限のものが一般人にも分かりやすい文章で規定されており、弁護士は存在せず、訴えのある者は直接裁判官に対して申し立てをすることができる(138頁)。
ただし、私有財産を追放しないかぎり、ものの平等かつ公平な分担は行われず、われわれの完全な幸福も実現しないというラファエルに対して、モアは「一切のものが共有である所では、人間はかえって幸福な生活を営むことができないのではないか」、「自分の利益という観念があればこそ仕事にも精を出す・・・が、他人の労働を当てにする気持があれば、自然、人は怠け者にならざるをえません」と懸念を示している(64頁)。
私有財産制を否定し、ものの共有を主張するモアは、まさに「空想的」社会主義者の先駆け(の1人)ではなかったのか。エンゲルス『空想から科学へ』ではサン・シモン、フーリエ、ロバート・オーウェンの3人を偉大な空想的社会主義者としているが(大月書店、国民文庫版59頁、寺沢恒信他訳)、「空想的」(Utopian)という言葉はまさにトマス・モアの本書に由来するものである。
無為徒食の貴族やその従僕を批判し、農民、労働者や職人に正当な労働の対価を支払うべしという公平な分配を主張するモアは(82頁ほか随所)、「社会主義者」の資格もなくはない。
ネット上には、『ユートピア』を架空の世界の物語であるとして、現実社会を出発点としたその後の「空想的」社会主義の論者と区別する意見も見られるが、『ユートピア』は赤道直下の架空の国に仮託しながら、実は当時のイギリス貴族社会を批判し、その変革の目標(=すべての人が公平な分配にあずかるコモンウェルス国家の実現)を語った本である。目標に至る行程と手段について具体的な提言が何も書かれていないのが弱点であり、限界だろうが。
実はこの本は何十年か前に(手元にある岩波文庫は昭和50年の第26刷、200円)買ったまま放置してあったと思っていたが、今回読んでみると何か所かに読んだ形跡が認められた。すべて家族や結婚に関する記述の部分である。
ルソー『エミール』もヘーゲル『法の哲学』なども同じような状態であった。どうもぼくは、このようなあまり感心しない読み方(つまみ読み)を続けてきたようだ。
ユートピアでは、女は18歳、男は22歳になるまでは結婚することができない。結婚前の性交渉が明らかになった場合にはその男女は一生涯結婚することはできない。「この種の放縦な悖徳行為をきびしく取締らないかぎり、結婚の正しい愛情生活をいとなむ者が少なくなる」恐れがあるからであり、正しい結婚生活とは、一生涯ただ一人の配偶者と生活を共にし、艱難辛苦を耐え忍ぶことであるとモアはいう(132頁)。
ところがモアは、男は婦人の気高い品性だけで満足できるものではなく、肉体上の欠陥が明らかになった場合には妻に対する愛情も消え去ってしまうので、ユートピアでは、夫婦となろうとする者は結婚前にお互いに自分の裸体を相手方に見せなければならない習慣になっているという(133頁)。エレン・ケイ『児童の世紀』(冨山房)では、生まれてくる子どものために結婚に際して夫婦は互いに健康診断書を交換しなければならないと書いていた。
さらにモアは、結婚は神が二人を合わせたもうた秘蹟であるから離婚は禁止、婚姻は非解消というカトリックの教義に反して、一定の場合に離婚を認める。カトリックでも認められる相手方に姦通や異常行動があった場合だけでなく、円満を欠く夫婦が、ともに配偶者以外のうまくやっていけそうな相手を見つけ、お互いが十分に了解した場合には、市会の慎重な審議を経て離婚以外に解決の道はないと認められた場合には離婚できるという(134~5頁)。
これもカトリック信者にしては驚くべき提案である。法律家としてのモアが、そのような理由による夫婦の不和の案件を多く経験したのだろう。ここまで言うのであれば、ヘンリー8世の離婚も何とかならなかったのか、と思うのだが。
「離婚の自由」を説いたミルトンとモアはどちらが先の人間だったか。※ミルトンのほうが約100年後だった。
映画『わが命つきるとも』では、家庭人としてのモアのすがたが描かれていたが、彼が家庭をいつくしんだことは、本書の初めのほうで、フランダースでの滞在が長期化したモアが、ラファエルの話を聞くうちに「故国や妻や子供を見たいという、やるせない気持も大分和らいだ」と書いていることからも伺うことができる(10頁)。
ただし、『わが命・・・』に登場するモアの妻(二度目の妻か?)は、夫(モア)の言動に必ずしも共感的ではない。例えばモアが国王に抵抗して大法官を辞任する際に、妻は収入や使用人が減ることが不満で仏頂面をしていた。
『ユートピア』にも、妻との関係がそれほど円満ではなかったことを想像させるような妻(一般)に対する皮肉な記述がどこかにあったが見つからなくなってしまった。引用するなということだろう。
奴隷の存在を認めたり、夫の妻に対する、また親の子に対する懲戒権を認めたり(135頁)、非同盟を唱えながら、戦争を否定せず、傭兵制度も認めている。また、女子は結婚すると大体婚家に行くが、男子は子々孫々に至るまで生家に留まり家長に従うなどという、時代の制約を受けた記述もみられる(90頁)。
『ユートピア』が安楽死を肯定していることは安楽死論議の中で(肯定論者が)しばしば援用するところである。不治の病であり、猛烈な痛みを伴う場合という条件はあるが、司祭と役人が相談して彼らの側から病者に安楽死を提案し、その理由として、生き続けることは病者本人が苦しいだけでなく、他人に対しても大きな負担をかけることになると述べているあたりは(131頁)、モアが敬虔なカトリック信者であるだけに意外である。
モア自身が、見るに見かねる末期の患者の苦しみを身近で体験したのだろうか。
ユートピア国にもいろいろな宗教があるという(158頁)。人間愛が共有され隣人愛が実現している理想郷にあっては、人々は何の悩みもなく宗教の必要もないように思うが・・・。いま併行して読んでいるホッブズ『リヴァイアサン』でも信仰心は将来への不安から生じると言っている(角田安正訳『リヴァイアサン(1)』光文社古典新訳文庫、187頁~)。
モアが言いたかったのは、ユートピアにおいては宗教選択の自由、信仰の自由が認められているということのようでもあるが、彼はキリスト教の布教を目ざしているようにも読めた(159頁~)。
世界の中で真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウィール)の名に値するのはユートピアだけである。コモン・ウェルスを名のっている国は他にもあるが、実際にそれらの国で人々が追求しているのは個人繁栄(プライベイト・ウェルス)にすぎないとして、おそらく当時のイギリスの実情を厳しく批判して本書は終結に近づく(176~7頁)。
批判の対象はヘンリー7世治下のイギリスだったのだろうが、このような本を著したトマス・モアを宮廷に招き、大法官にまで任命したヘンリー8世も豪胆な人物であった。わが国の宰相だったら学術会議会員にすらしなかっただろう。
巻末に訳者の平井正穂氏による懇切なモアの経歴および時代背景の解説がついている。
モアは1478年にロンドンで生まれた。父親は後に高等法院判事となる法律家だった。最初はオックスフォードで学んだが、父親の意向でリンカーン法学院で法学を学ぶことになる。1499年頃にエラスムスと出会い生涯の友となる。下院議員となり、ヘンリ7世を弾劾する。結婚をせずに聖職者の道を進むか世俗的に生きるか迷った挙句、1505年に結婚する(最初の妻は1511年に亡くなり再婚)。
1510年にヘンリ7世が死亡し、ヘンリ8世が18歳で即位するが、その年モアはロンドン市の法律顧問に就任した。1515年には本書にもある通り、ヘンリ8世の命でフランダースに派遣される。ここで本書の第2部を執筆する(1516年出版)。帰国後は国王およびウルジ枢機卿(オーソン・ウェルズ!)の信望を得て宮廷に仕官し、ウルジの失脚後の1529年に、彼の後を襲って大法官となる。しかし最後まで国王の再婚を承認せず、1535年に反逆罪の罪名を着せられて斬首によって刑死することになる。映画によれば、彼の首は1か月間晒し首にされた後、娘マーガレットに引き取られ彼女によって守られたという。
訳者はユーモアがモアの性格の重要な一要素であったと指摘し(202頁)、本書を中世の絶対主義から自らを解放しようとする近代人の自由宣言であると指摘する(203頁)。残念ながら、近代日本ではモアほどの法律家は今のところ現れていないと思う。
『ユートピア』はたんなる南洋の未開社会の習俗の紹介というより、現実のイギリス社会を批判、風刺するという性格が強いが、それでも表面的には赤道直下の南洋の島に理想の社会を見い出している。
『ユートピア』だけでなく、ディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』をはじめ、ホッブズやロック、ルソーら近代自然権思想家の「自然状態」観には、大航海時代の記録に記された南洋などの未開の地の習俗の知見が与えた影響が大きいように思う。このことを論じた本はあるのだろうか。ぜひ読んでみたい。
2021年9月3日 記