豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『リヴァイアサン』余滴・2

2021年09月12日 | あれこれ
 
 以下は『リヴァイアサン』から始まったぼくの “nostalgic journey” です。一部、以前に書いたものとの重複があります。

 『リヴァイアサン』には水田洋氏による全訳があり(岩波文庫、全4巻)、中央公論社版<世界の名著・ホッブズ>にも永井道雄他訳があるが、第3、4部は抄訳らしい。光文社古典新訳文庫でも、第3部、第4部の刊行の予定はないという。
 第3部と第4部はキリスト教権力と世俗の権力(“civil government”)との関係が論じられているらしく、本当は重要な内容だと思うのだが、キリスト教それ自体や、ホッブズの時代のイギリス(スコットランド、アイルランド)におけるカトリック(ローマ教皇)、イギリス国教会(長老派)、ピューリタン(清教徒)との関係や、当時のイギリスの人々への影響などについて知識がない私は、読み通す自信がない。

 7月下旬に、水田洋氏が全訳した岩波文庫の『リヴァイアサン』全4巻を、まずは図書館で借りてきて、斜め読みしてみた(上の写真)。
 最初に読んだ「第2部」は、水田訳に行き詰って、結局は角田安正氏が訳した光文社古典新訳文庫の『リヴァイアサン (2)』を読んだのだが、「第1部」については再び水田訳で挑戦しようと思った。
 Amazonで探したところ、生活困窮者支援の<もやい>と提携しているバリューブックス(長野県上田市)で、『リヴァイアサン (1)』(岩波文庫)の評価「非常に良い」が何と241円(+送料250円)で出品されていたので、即刻注文した。ほどなく新品同様の本当にきれいな本が届いた。
 ぼくは定年退職時に蔵書を処分する際に、売り上げの一部を<もやい>に寄付して困窮者支援に充てているというので、バリューブックスで売却した。古書もどうせならバリューブックスから買いたいと思った。(下の写真はバリューブックスから届いた『リヴァイアサン (1)』岩波文庫。)
      

 実は、「第1部」を岩波文庫版で読みたいと思ったのには、この他にも理由があった。
 岩波文庫版『リヴァイアサン』第1巻の巻末に付された水田氏の「解説」によれは、この第1巻は、私がかつて勤務した日本評論社から戦後間もなくに出版されたものを土台にしているという。
 しかも協力者として磯野富士子氏のお名前が出ていた。叔父である穂積重遠さんは大正時代にイギリスに留学された方だから、重遠さん旧蔵のホッブズの稀覯本でも貸与されたのではないかと想像した。さらに謝辞をささげられた杉本栄一氏は、同時期にドイツに留学した私の祖父の研究仲間だった。
 そんな縁もあったので、『リヴァイアサン』第1部は、できれば岩波文庫の水田訳で読みたいと思ったのだった。

      

 なかでも、磯野富士子先生、磯野誠一先生ご夫妻とは、私は多少のご縁があった(上の写真は磯野先生ご夫妻の共著『家族制度』岩波新書)。
 家族法研究会でご一緒させていただいただけでなく、日本の家族法に関心をもつフランス人の法律家カップルが来日した折に、磯野先生からご依頼を受けて、婚姻届出や戸籍の実情を知りたいというカップルを豊島区役所の戸籍課にお連れしたことがあった。当日の写真の日付けをみると、2001年7月24日のことだった。
 区役所からの帰り道、池袋駅西口の東京芸術劇場の前を通りかかると、この建物を見物したいと仰るのでお供した。建物内に入った時に、彼から「この建物をどう思うか?」と質問され、返答に窮した。後に、知人のゼネコン勤務の建築家に「こんな場合にはどう答えればよいのか」と質問したところ、「建築物を語るときは、構造物それ自体ではなく、その構造物によって仕切られた空間の印象を語れ」と助言された。

 見物の後、池袋駅から東上線に乗って東武練馬駅前にあった大東文化大学の宿泊施設までお見送りをして別れたのだが、この間どのようにして対話が成り立っていたのかまったく記憶にないが、ぼくの下手な片言英語で何とか凌いだのだろう。 

        

 --と、ここまでは昨日書いたのだが、1日経ったら(今朝の午前5時にNHKラジオ深夜便が終わってから起床するまでの寝床のなかでのことだった)、ふと2001年のあの日の一場面を20年ぶりに思い出した。

 道案内の途中で怪しげな一角を歩いているときに、私が「この辺は “milieu”です」と言ったところ、お二人とも怪訝な顔をされた。さらに下手な説明をすると女性の方が分かって下さったようで、彼に向ってフランス語で説明し、彼も「ほう」というような顔をされた。
 “milieu” などというフランス語は、シムノンの「メグレ警部」ものか(河出書房から全50巻のメグレ・シリーズの翻訳が出ていた)、ジャン・ギャバンの映画で知った言葉だと思う。(下の写真はジャン・ギャバンがメグレ警部を演じたテレビ・ドラマの1シーン。まさに “le milieu”ものだった。)
          

 改めて辞書で調べると、“milieu” には、(空間の)中央、(抽象的な)中間、(人間を取り巻く)環境、(社会的な)階層、(複数で)~界、などといった語義の後に、冠詞のついた “le milieu” で私の言いたかった意味が出てくる(小学館プログレッシブ仏和辞典。三省堂クラウン仏和辞典にも載っていた)。「売春[密売]組織、暗黒街、やくざ社会」と、すごい訳語が並んでいる。
 最初に伝わらなかったのは、フランス語どころか英語もろくに喋れない日本人からこんな単語が出てくるとは想像もしなかったからか、私の発音が悪かったからか(「魅了」の「ミリョウ」と発音したと思う)、冠詞 “le”をつけなかったからか、あるいはその一角を表現するのに適切な言葉ではなかった--パリの “le milieu”はもっと怖いところだったからか、のいずれかではないか。

 ぼくの海馬の中には、まだ20数年前のこんな記憶が残っていたらしい。
 何をきっかけに思い出すことができるのかはわからない。すべての記憶が一気に出てきても困るが、忘れている懐かしい思い出にはもっと出てきてほしい。とくに思春期の通学のバスの中で見そめた女の子なんかにはぜひ出てきてもらいたいのだが。
 海馬の中の記憶を出し入れする知識、技術はまだ開発されていないのか。学生時代に刑事訴訟法の授業で「アミタール・インタビューにおける被告人の発言の証拠能力(証明力だったかも)」に関する判例を読んだ。必ずしも過去の事実の自白とは認められないという判旨だったと思う。

 磯野先生ご夫妻とは、その後研究会や学会でもあまりお目にかからないなと思っているうちに、お二人とも私たちの前からフェイドアウトされてしまった。ネット上で確認すると、誠一先生のご逝去が2004年、富士子先生のご逝去が2008年となっている。
 お二人の思い出は、富士子先生の元気なお声と、誠一先生の穏やかな微笑みとともにある。

 2021年9月12日 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする