乾いた花

2014-10-11 13:43:27 | 日記
フランス映画みたいだった

石原慎太郎原作とは知らなかった

近頃耳が遠いものだから、最後のセリフが

「俺は今も、死んだと聞いた冴子に餓える」と聞こえたが

間違いないだろうか

加賀まりこが好きと言いながら

代表作のひとつのこの映画を見たことがなかった

劇団四季の舞台に出ていた頃はほとんど見たし

映画「美しさと哀しみを」は五回も見てビデオも買ったし

写真集が出たときはサイン会にも行き

三番町に住んでいる頃は私も三番町に部屋を借り

今は神楽坂に戻った彼女をサングラスかけていても道で気づいたし

今回地元の名画座「ギンレイホール」が
        

40周年を記念して「名画座主義で行こう」と銘打つ二週間のイベントで
        

この映画も上映し、地元の女優加賀まりこのトークショーもあるというので

1800円の前売り券を買った
        

大盛況で立ち見席も出るほど
       

彼女が十代で寺山と篠田に神楽坂の路上でスカウトされた話には司会も不要な位だったが

もう一本の同時上映映画に関わるディックミネの息子が相手をした
        

乾いた花は見なければならない理由がもう一つあった

私の人生を変えた佐々木功も出ていたのに見ていなかったから

彼が東大受験をあきらめたというので

私が代わりに行かねばと急に真面目にお勉強する子になったのだから

映画の中で、加賀まりこも佐々木功も、若くてきれいだった

映画はもう一本セットになっていた

大映のプロデューサーだった加賀の父親が80年前に作り
        

日の目を見ることのなかったトーキーのはしり「鋪道の囁き」
        

ちっょと関わった位かと思っていたら、そうではなく

加賀プロダクションを作り、名前も最初に出てくる

筋は他愛もないミュージカルコメディだが、

音楽的な、また舞踏的な水準が高く、メロディーが記憶に残る

あの時代(鎖国!から70年)の日本にあんな文化があったとは

主演は中川三郎で、若いときはあんなに素敵で歌も歌えたとは知らなかった

単身渡米して学んできたタップダンスの第一人者

私の大学時代はまだあちこちに中川三郎ダンススタジオが見られた

映画が終わり、私はこの時代にこれだけのものを完成させたひとたちに拍手を送りたくなった

すると誰ともなく拍手が始まり会場は拍手の嵐になった

この作品は紛失していたのが四年前にUCLAでみつかって戻ってきたもの

ジャズやタップやこの映画がブームになりそうな予感

加賀まりこの魅力は容姿の部分も大きかったけれど

この父にしてこの娘
        

人が人生で点のように為してきたきたことが

ある時を得ると有機的につながって足し算以上の塊になる

いい日だった

そして帰宅するとさらにいいことがあった

昨年庭師さんたちの協力でお屋敷を整備したとき手伝ってくれた九大の研究室が

また今年もどうですかと向こうからメールを下さった

また学生さんたちの力を借りて、やります!




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