少女時代 8.

2011-07-30 00:31:22 | 物語
8. 歌手

「おーい、船が出るぞー」
てな感じで「おーい、東大受けるぞー」と、私は辺り構わずふれ込んだ。そうすることに
よって逃げ道をなくそうとした。
「まりちゃん、起きなさい。寝坊すると東大に落ちるよ」
 母はそういって朝起こすようになった。
 高校では先生方が頭を抱えていた。また、あの生徒が…。
 あの生徒は、学校に地理の授業を開講することを要求した。本来は高校では日本史、世
界史、社会、地理が選択できるはずが、わが高校では選択はさせずに地理は開講されてい
なかった。
「私は地理で東大受けたいんです」
その言葉で私だけのために地理の個人授業が始まった。皆は数学を受講している時間だっ
たが、数学なら石井はでなくてよかろうという配慮だった。
 これで落ちたらねえ。
 一番意外な反応をしたのは父だった。ふだんは母や私のとても付いていけない言動を無
視して、加担しないことを旨としている父が、なんと、東大受験生の塾をみつけてきたの
だ。それも英語と数学のそれぞれ。
 あ、お父さん本気にしている。と慌てたのは私だった。
 その塾は、どうしても子供を東大に入れたいという医者が、九大の先生に頼んで開かせ
たクラスで、数学も英語も同じメンバーの県立修猷館高校の男子が六、七人来ていた。
 で私は東大受験への道をまっしぐら、と思うでしょ。いや、そんなにすんなりとは。
 もともと東大受験への道は佐々木いさおへの道なのだから、ほかにも道があれば歩いて
みますって。その道とは。
 当時は、テレビ番組で「グンゼジャズトーナメント」と「ホイホイミュージックスクー
ル」というポピュラーソングのオーディション番組があった。「ホイホイミュージックス
クール」は鈴木やすしと木の実ナナが司会をしていて、その録画が福岡のローカル曲にも
やって来ることになり、挑戦者を募集していた。
 まず葉書の応募予選でもはねられるのに、私はその中に入った。二曲ほど楽譜持参のこ
とという条件が付いていたので、中洲の楽譜屋に買いに行ったけれど、数が少ない。仕方
なくあまり好きではないコニーフランシスの「ボーイハント」を買った。楽譜屋のおじさ
んがまた有名なひねくれ者で
「ポピュラーソングの楽譜はどこにありますか」
と尋ねると
「ポピュラーとはどういう意味かわかっとるのか」
と迫ってくる。ああもう二度と行きたくない。
 人をハントするという日本語はこの「ボーイハント」から使われるようになったけれど
日本語の訳詞は意外におとなしいものだった。

”私の大好きな
 優しい面影 夢見る瞳よ
 今頃あの人は
 街から街へとさまよい歩くのか
 恋は知らず知らず心に
 恋は赤く赤く楽しく咲く
 待ちましょう
 めぐり合えるその日を
 静かに静かに待ちましょう”

 わ、凄い。今でも覚えている。それでこの楽譜を携えて、制服で(!)放課後に放送局に
向かった。葉書でふるいにかけられたとはいえ、結構な人数が並んでいる。なかなか進ま
ない。どうしよう、五時から英語の塾なのに。そうか、これは神様が私に選択をさせてい
らっしゃるのだ。ギリギリ四時半までに私の番が回って来なかったら、お前は歌手をあき
らめて受験の道へ行けとおっしゃっているのだ。私はギリギリまで待った。しかし私の前
には相当の数の応募者がまだいた。ええい、この道さらば。
 もしあの時私が歌手への道を進んでいたら、今頃場末のクラブででも歌っていたか。も
しかしたら、ね。ホイホイミュージックスクール合格者のじゅんとネネは今も細々と活動
していて素敵だし、同じく合格者の布施明は大御所ともいえる年齢になって健在。
 ホイホイミュージックスクールをあきらめた私は、それから受験一本で勉強に集中するようになる。


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