もがり または 恩師 ④

2019-03-02 20:04:03 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実どおりではありません


 中学二年、三年の国語の担当は典子先生ではなかったので思い出が少ない。ただその学年の国語担当の先生から

典子先生の話を聞かされたことがある。

 その先生の国語のテストに“好きな詩人の名前をあげよ”という問題が出た。私はまた不貞腐れて雑誌『ジュニ

アそれいゆ』で見たフランシス・ジャムの名前を適当に書いておいた。その答えが典子先生にも伝わると喜んでお

いでだったというのだ。

 典子先生もそれいゆ派だった。先生のオーダーメイドのモードもそこから来ているらしい。当時それいゆに載っ

ていたジェラールフィリップの写真を大胆にもカトリックの学校で職員室の机に飾っていらしたとずっと後で聞い

た。先生は私より一回り上だった。

 中学三年の修学旅行は山陽山陰方面だった。典子先生も引率にいらしたのに何の記憶もない。唯一、博多駅に帰

着した時に典子先生の婚約者という人が出迎えに来ていて皆が噂の材料にしたことだけを覚えている。

 その方は九大の助手をなさっていて国文学の先生ということだった。そして間もなく典子先生は永沢を名乗られ

た。


「あそこは美男美女夫婦だね」

と父が言ったとき、まだ子供の眼しかなかった私にはすぐにわからなかった。典子先生は竹久夢二が描く女性のそ

のもののような容姿、お相手の謙三先生は津川雅彦を思わせる風貌。そういえばそうかもしれない。

 父が教えていたのは英文学だったが、大学の文学部で謙三先生とも顔見知りだった。そして謙三先生の妹さんは

父の教え子で、我が家にも遊びにいらしたことがあるというつながりがわかった。

 受験とは無縁の女子校で一人だけ急に国立大学を目指して受験勉強を始めた私は、息抜きを探していた。塾以外

では大学受験とは関係のない友人の方が親しくしていた。そして我が家でおむすびパーティーを開くことにした。

大食の友人三人を招くことにしたが少し大人の味わいも加えたいと思った。一番の候補に典子先生を思いつき、職

員室に向かった。

「先生、うちでおむすびパーティーをしますが、いらしていただけませんか」

「あら、嬉しいわ。喜んで」

あまりにすんなり要求が通ったので拍子抜けするほどだった。

 在校生が受験勉強中にその学校の先生を招いて遊ぶなど、特別なことだろうに、何を話したのか、どんな雰囲気

だったのか、思い出せない。、

 先生が上品ではかなげで穏やかな方だったからだ。

 高校の遠足の帰り、バスの中で生徒たちはマイクを回して歌を披露していた。典子先生にマイクが渡され、皆が

やいやいと先生の歌をせがんだ。先生はゆっくりと詩の朗読を始められた。

「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、…」

みごとな収め方だった。

典子先生は、無作法、はしたない、見苦しい、大げさ、という言葉とは無縁の人だった。






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