京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 17.

2011-04-30 00:33:27 | 物語
17. 深泥池

 住まいのマンションを引き払って店の三階に住めば、家賃分が浮くという提案は、保子
から何度も進められていたが、その時は耳を傾ける気はなかった。ありえないことだと思
っていた。
 東京から友人が来ても誰も泊められなくなる。不動産屋との契約もカフェの事業用なの
だから。と、実行しない理由はいくつも思いついた。
 それでも店の三階に住まざるをえないところまで来た。
 息子に給料を払えない以前に、私は静岡の食品会社からの給料は店に注ぎ込んでいたの
で無収入で、自分の住まいの家賃も滞っていた。即刻マンションから退出するようにとい
う内容証明の郵便が来たので、持ち主である神戸の不動産屋まで、少し待ってくれと頼み
に出向いた。万一相手がその筋の人でも、殺されはしないと腹をくくって。
 マンションの契約は京都の不動産屋が仲介していたので、これまで所有者とは一度も顔
を合わせることも電話で話すこともなく、全くの初対面だった。神戸はまだ五年前の震災
の跡が色濃く残り、ブルーシートが点々と張られたままで、空地も目立った。
 私は家主にカフェを始めたことは知らせていない。もう一つの肩書きの料理書図書館の
名刺を出した。家主の会社の専務は、何だこんな図書館、訳のわからん商売などして、と
いう顔をした。
 私は、今丁度お金の回りが悪いけれどもうすぐ立て直すという、よくあるつなぎの言葉
を出し、向こうは知らんすぐ出ろと言って話はかみ合わないのだが、結局私の押しが勝っ
た。
 それから三ヶ月で滞納を元に戻しはしたが、今なら引越しの運賃は出せるけれど先の家
賃はまた滞納するかもしれないと判断して、カフェの大家さんと交渉し、店の三階に住ま
わせてもらうことになった。
 マンションの家賃は払わなくてよくなったが、風呂屋に行く分だけは出費が増えた。毎
日行くだけの余裕はなく、夏というのに一日おきにしか風呂屋に行けなかった。
 保子なら、こんな住まいでも泊りがけでパリから遊びに来てくれただろうに、皮肉にも
その保子はいなくなった。
               
 大阪の出張帰りに、東京の南さんがカフェに寄ってくれた。だがどこかに案内する余裕
などない。風呂屋に行く小銭すらもレジの中には入っていないのだから。せめてバスに乗
ってどこかに行こうと、なるべく長く乗れる深泥池終点のバスを選んで、河原町丸太町か
ら乗った。バスは真っ直ぐ北へ向かう。
 終点は京都ではよく知られた精神科の大きな病院の広い敷地の中になっていた。深泥池
に接する病院の庭は、人影もなくしんと静まり返っている。病舎の窓の金網を見なければ、
穏やかな夏の昼下がりだ。あの中の人は、たとえ金網越しでも池や芝生や草木に、京都の
四季を毎日見ることができる。
 七月に入っていたが、泰山木がまだ花を付けて香っていた。中国料理の蓮華のような花
びらを拾うと病院の庭を散歩した。
「泰山木の葉は、真ん中が盛り上がって仕切りになっているから、子供の頃はままごとで
お子様ランチのお皿にしていました」
 帰りは病院の敷地を出て北山通りまで歩いた。深泥池の縁のヤブには、ヤブカラシがと
ころどころに花房を付けていた。
「これもままごとによく使ったけど、なぜか蜜柑でしたね。色しか似ていないのに、小さ
なオレンジ色の花の一つ一つが、蜜柑のさのうの一本一本を連想させたんです」
「ヤブカラシはぶどうの仲間ですよね」
 南さんとは、編集者と翻訳者という関係で知り合った。その時はフランスの料理書に出
てくる植物の学名を、私が調べてリストにしたけれど、その後南さんは朝日百科の植物図
鑑を読破していた。
「夕食は私がご馳走しますね」
 遠慮せず甘えることにした。バス代がやっとですという状況は、話題にもできなかった。
 私は一旦店に戻り、南さんは一人で京都観光をして、夕方カフェで落ち合うことにした。
夕食は一度行ってみたかったヤドリギともだちの吉田さんのフランス料理店「リンデンバ
ーム」に連れて行ってもらうことにした。
 ヤドリギともだちの店は、手入れのいい可愛い植物が上手に配置されていた。吉田さん
はホテル出身でフランスやスイスで修業をしたことがあり、ハムソーセージの製造にも詳
しく、スイスの山でバルテュスのアトリエにも招かれた話をしてくれた。
 三千円でデザートまでしっかり付いたディナーは南さんを満足させたようだった。東京
に帰った南さんから葉書が届いた。
〝Rive Droite もリンデンバームもいいお店なので、長く続くといいですね〟
 ヤドリギ交換以後も、時々エスプレッソを飲みに来る吉田さんが言ったことがある。
「僕のところぱ家賃が安いからなんとかやってられるんですよ」
 それでギリギリなのだということが伝わってくる言葉だった。リンデンバームは、細い
路地奥にある古家に手を入れたもので、表通りのRive Droite より家賃が安いことは推し
量られた。その細い路地には敷石がきれいに配置され、塵一つなく磨かれていた。
 Rive Droite の家賃はまだ滞っていた。
 お客に一万円札を出されると釣がない。そんな時は近くのコンビニに小銭を作るために
買い物に走る。ほかにスタッフがいない時は、お客だけを店に置いたまま、息を切らして
走った。
 どうしてこうも毎日支払いがあるのだろう。家賃、給料、公庫の返済、明治屋、ロイヤ
ルホテル、嵐山マルシエ、高梨乳業、コーヒー屋、ネスプレッソ、レンタルの植木、電気、
ガス、水道、電話、町会費、商工会議所会費、飲食組合費、商店会費、税理士、事業用ゴ
ミ回収、…。
 顔の見えない相手から順番に滞っていった。公庫には月々の返済額を減額してもらった。
それにより返済期間は延びることになったけれど。材料の仕入れは、ホテルのパンも明治
屋も支払いを滞納したため、最初は月末締めだったのが、現金でしか買えなくなっていた。
公共利用金は何ヶ月も遅れ、毎月今日こそ止められるという日に電話をして、今晩払いに
行きますと断り、水道代は二条城近くの水道局に、ガス代は京都駅前の大阪ガスに、電気
代は同じく京都駅前の関西電力に駆け込んだ。
 月曜の夜、レジにあるギリギリの現金を取り出し、火曜の早朝、静岡に出張のため京都
駅に向かい、駅前の関西電力の出納に寄る。当直の人はベッドから起きて受け付けてくれ
る。料金の支払いは二十四時間営業になっていた。
 初めははずかしさで消え入りたい気持ちだったのが、度重なると、向こうは個々に相手
をしているのではなく、サラリーマンの日課としか思っていない筈だと自分に言い聞かせ
て、その場をやり過ごすように努めた。
 いつものように、もう電気を止めますと言われたのを、二週間待ってもらい、今晩払い
ますと電話で言って、それでもどうしてもお金が揃わない日があった。
 ギャルソンとは、時々半分本気でこんな冗談を交わしていた。もし止められるとしたら、
ガスと電気のどちらが困るだろう。電気を止められたら、明かりはろうそくでしのぎ、暖
房は石油ストーブかガスストーブを使う。しかしエスプレッソマシーンは使えない。
 ガスを止められたら、オーヴンが使えず、ケーキが作れないが、お湯はカセットこんろ
で沸かせる。
 迷う間はまだいい方で、どちらも払えなかったのだ。
               
 店のオープンエアのテラス席の前に、関西電力の車が止まった。中からヘルメットを被
った男性が二人出て来た。カウンターの私に何か告げに来るかと思っていたら、やおら店
の前の電柱に上り始めた。工具を持って。
 すぐに私は駆け寄った。
「今晩行きますので」
 テラス席にいたお客が聞いていたかどうかはわからない。関西電力の人と私の会話の内
容を、電気を止める止めないの話とは解釈していないようにと願った。
 結局ガスや電気を止められて困るのは、料理が作れないという営業の実務より、人目を
気にして恥ずかしいからなのだ。もし周り中が停電していたり、ガスが止まったりしてい
たら、不便だと不満をかこつことはあっても、気持ちが縮こまったり落ち込んだりするこ
とはない。人並み以下という気分が心を追い込むだけだ。
 人はわざわざ重い荷物を背負ってテントの中で寝たり、飯盒炊爨をしに行ったりする動
物だから。

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2 コメント

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Unknown (しぇる)
2011-04-30 22:29:48
リンデンバウムって、2年ほど前、熊野神社の西側にできたソーセージ屋さんのリンデンバウムと同じオーナーさんでしょうか。
お名前もたしか吉田さんだし。
今日も前をとおりましたが、まだ中にはいったことありません。
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Unknown (Mariko Ishii)
2011-05-01 08:03:10
しぇる 様
はい、そうです。
昨年の11月23日のブログに書いております。
ただ、バウムやのうてバームですが。
いつも店頭に少ししか陳列してないので、
買っていいのかなあと思ってしまいます。
お店のブログもありますよ。
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