セ・リーグ各チームには伝説的なストッパーが存在する。
中日には日本セーブ記録を更新した岩瀬。
阪神には藤川。2人は現在でも第一戦級で活躍している。
ヤクルトには現在でも独立リーグでプレーする高津。
広島には「炎のストッパー」津田恒美(故人)と大野豊。
横浜(大洋)には斎藤明夫と大魔神こと佐々木。
そして巨人は…いない。70年代以前の頃は知らないが…
1983年日本シリーズ。9回に1点勝ち越した直後、9回裏の登板に備えて投球練習していたのは先発要員の江川と西本だった。
1986年。サンチェを獲得。角→鹿取→サンチェで逃げ切るのが定番だった。だが長続きせず。
1987年。王監督は鹿取を酷使。王監督が告げる「ピッチャー・鹿取」はワンパターン采配と揶揄されながらもリーグ優勝。
1989年。この年から再度、藤田監督が就任。藤田監督は「先発投手は完投するもの」とし、ストッパーを確立しなかった。この年、日本一。
1992年。藤田監督はストッパーの重要性を認識しなかったのか、ストッパー・石毛が誕生する。
1993年。長嶋監督が再度、就任。橋本→石毛の「勝利の方程式」を確立し94年には日本一。だが、この石毛。四球を連発し巨人ファンの寿命を確実に10年縮めた。
1996年。石毛に衰えが見えるとマリオを獲得。「お化けフォーク」で活躍するも、シーズン終盤は不調に。そこで長嶋監督は前年FAで活躍する川口和久をストッパーにして、「メークドラマ」を達成した。
1997年以降、ストッパーを確立できず。
2000年。岡島をストッパーにして、そこそこ活躍し日本一に。
2002年。原監督就任。原監督はストッパーに河原を抜擢。これが大当たりし、見事日本一。だが翌年以降はさっぱりだった。
2005年。ミセリを獲得。だがこれが、大・大・大・大失敗で開幕早々、解雇。最後は浅草観光してお帰りに。
2006年。再度、原監督就任。西武からFAで豊田を獲得。開幕早々は活躍するも、交流戦の頃から衰えが目立つようになり、チームも失速。
2007年。原監督は大きな決断をする。上原を説得してストッパーにしたのだ。これが大成功。5年ぶりのリーグ優勝。
2008年。先発志向が強い上原を先発に戻し、ストッパーには横浜からクルーンを獲得。このクルーンは快速球を投げるものの、四球を連発。巨人ファンの寿命を確実に10年縮めた(石毛とクルーンで巨人ファンは20年寿命が縮まったことになる)
だが原監督が我慢に、我慢に、我慢に、我慢に✕100 を重ね起用し、同年「メークレジェンド」、2009年には日本一に。
2010年。ついにクルーン堤防は「決壊」。優勝を逃す。
2011年。ロメロで失敗、アルバラデホで失敗。
このように、巨人にはここ30年、3年以上安心して任せられるストッパーは存在しないのだ。
それでも、定期的に優勝するのだから、摩訶不思議な球団である。
中日には日本セーブ記録を更新した岩瀬。
阪神には藤川。2人は現在でも第一戦級で活躍している。
ヤクルトには現在でも独立リーグでプレーする高津。
広島には「炎のストッパー」津田恒美(故人)と大野豊。
横浜(大洋)には斎藤明夫と大魔神こと佐々木。
そして巨人は…いない。70年代以前の頃は知らないが…
1983年日本シリーズ。9回に1点勝ち越した直後、9回裏の登板に備えて投球練習していたのは先発要員の江川と西本だった。
1986年。サンチェを獲得。角→鹿取→サンチェで逃げ切るのが定番だった。だが長続きせず。
1987年。王監督は鹿取を酷使。王監督が告げる「ピッチャー・鹿取」はワンパターン采配と揶揄されながらもリーグ優勝。
1989年。この年から再度、藤田監督が就任。藤田監督は「先発投手は完投するもの」とし、ストッパーを確立しなかった。この年、日本一。
1992年。藤田監督はストッパーの重要性を認識しなかったのか、ストッパー・石毛が誕生する。
1993年。長嶋監督が再度、就任。橋本→石毛の「勝利の方程式」を確立し94年には日本一。だが、この石毛。四球を連発し巨人ファンの寿命を確実に10年縮めた。
1996年。石毛に衰えが見えるとマリオを獲得。「お化けフォーク」で活躍するも、シーズン終盤は不調に。そこで長嶋監督は前年FAで活躍する川口和久をストッパーにして、「メークドラマ」を達成した。
1997年以降、ストッパーを確立できず。
2000年。岡島をストッパーにして、そこそこ活躍し日本一に。
2002年。原監督就任。原監督はストッパーに河原を抜擢。これが大当たりし、見事日本一。だが翌年以降はさっぱりだった。
2005年。ミセリを獲得。だがこれが、大・大・大・大失敗で開幕早々、解雇。最後は浅草観光してお帰りに。
2006年。再度、原監督就任。西武からFAで豊田を獲得。開幕早々は活躍するも、交流戦の頃から衰えが目立つようになり、チームも失速。
2007年。原監督は大きな決断をする。上原を説得してストッパーにしたのだ。これが大成功。5年ぶりのリーグ優勝。
2008年。先発志向が強い上原を先発に戻し、ストッパーには横浜からクルーンを獲得。このクルーンは快速球を投げるものの、四球を連発。巨人ファンの寿命を確実に10年縮めた(石毛とクルーンで巨人ファンは20年寿命が縮まったことになる)
だが原監督が我慢に、我慢に、我慢に、我慢に✕100 を重ね起用し、同年「メークレジェンド」、2009年には日本一に。
2010年。ついにクルーン堤防は「決壊」。優勝を逃す。
2011年。ロメロで失敗、アルバラデホで失敗。
このように、巨人にはここ30年、3年以上安心して任せられるストッパーは存在しないのだ。
それでも、定期的に優勝するのだから、摩訶不思議な球団である。