ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」

2006年07月09日 | 読書
ダイエーといえば、僕の幼い時に地元に進出してきており、まさに休みの時や祭りの時には必ずといっていいほど「ダイエー」に行くというのが相場だった。そこにはあらゆるおもちゃや文具、マンガ、ゲームが揃っており、地元では最大級だった食品売場では、「キャプテン・クック」のPB品が揃っていたことをおぼろげに覚えている。そういったこともあって基本的に僕は潜在的には「ダイエー」シンパだ。

中学~大学時代になると、こういったGMSにたむろすることもなくなったので、ダイエーが危機的状況に陥ろうとしていた頃も実情を全くしならなかったわけだけど、就職後、平日昼間に立ち寄った富田林(大阪)店の閑散たる状況を見た時の衝撃は憶えている。僕を含めた数客数より店員の方が多いのではないか、そんな状態だったのだ。

その後、ダイエー再建問題は、産業再生機構の設立や高木邦夫社長らを中心とした新生ダイエー首脳陣の意地、通産省(経産省)の意地、雇用問題などとも絡み合いながら、結局、2005年、産業再生機構の支援のもと丸紅グループらによって再生の道を歩むこととなった。



この著書は佐野真一氏が、戦後から高度消費社会の到来という文脈の中で、その変化、成功と没落を体現しつづけたであろう「ダイエー」とそれを率いた「中内功」を描いたものである。前半はまさにメーカー主導の産業構造の中で、例えそのやり方がスマートなものでなかったとしても、「価格破壊」を標榜とし拡大していくダイエーを客観的に、しかし好意的に描かれている。しかし後半、特に「V革」後については、ダイエーが社会からの要請に応えられなくなっていったからなのか、あるいはダイエーの親族支配・中内家の利権としてダイエーが翻弄されていたからなのか、そこに批判的な視点が増えていっている。もちろん、佐野氏自身が述べているように、ダイエーを糾弾することではなく、立ち直って欲しいとの願いからなのだろうが。

それにしても、流通業というものは絶えざる「流通システム」の改善・改革こそが生み出すのだろう。サカエ薬局時代に、「サカエ薬局に安く商品を販売しても取扱量が増えればメーカーからの報奨金でより利益がでる」という発想や、「沖縄」を経由することでオーストラリア牛を安く供給するという発想は、それが「正しい」かどうかといった倫理性とは別に、流通システムの改革という店では非常に興味深い。

中内功が目指した、「規模の経済」というのはもちろんこれ自体は有効な手立てだけれど、ただバーゲティング・パワーがあるから仕入を安くするというのでは、結局、売上は伸びたとしても利益確保には難しいのだろう。売場面積・店舗数を増やせばそれだけのコストがかさむし、売れない商品も仕入れねばならない。こうした「規模の経済」を追求しつつ、より効率的な商品管理、迅速な営業戦略の展開などを実施していったのが「イトーヨーカドー」ということになるのだろう。

特にコンビニの台頭は、一店舗あたりの販売面積が限られている以上、そこからより多くの収益を稼ぐためには「売れる商品」「粗利の高い商品」を配置する必要がある。また一店舗あたりの販売面積が限られ、かつそれらの店舗が「店」として「面」を覆っている以上、「商品数」は回転率や効率的なロジステックとも不可分の関係となる。

こうした複雑なオペレーションこそが成功の鍵となる以上、「気合」だけでは商売にならなくなっていったのだろう。

後半部については、中内氏側にもいい分はあるのかもしれないが、「あってはいけない」経営者としてしか映らない。いずれにしろ、日本の流通を引っ張ってきたにも関わらず、死に際しダイエー側の社葬が行われなかったところに、晩節をどれほど汚したかが慮られる。



カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」/佐野真一





コメントを投稿