ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

親切なクムジャさん:復讐の果てに何を見つけられるのか

2006年07月08日 | 映画♪
原作の想いを踏襲できたかどうかは別として過激な映像とスリリングな展開で成功を収めた「オールド・ボーイ」の監督パク・チャヌクの復讐三部作の第三弾。「オールド・ボーイ」ほどではないものの、過激な映像表現と他の韓国映画とは一線を画する佳作。



天使のような美貌と残忍な手口で世間を騒然とさせた幼児誘拐事件の犯人クムジャ(イ・ヨンエ)は、服役中、誰に対しても優しい微笑を絶やさなかったことから「親切なクムジャさん」と呼ばれるようになる。13年間の服役を終えて出所した彼女は、自分を陥れたペク先生(チェ・ミンシク)に復讐するため、かつての囚人仲間に協力を依頼する。ペク先生により引き離された娘と再会を果たし、ついに彼を手中にいれた彼女だったが、本当の復讐はそこからが始まりだった……。

「オールド・ボーイ」がストーリ展開が鮮やかだったからか、この「親切なクムジャさん」はそれに比べるともう1つかったるさが残るものの作品自体としては決して悪くはないのだろう。

この物語の軸となっているのは、クムジャが獄中で親切なフリをして作った仲間の助けを借りて、自分を陥れたペクに復讐するというものなのだけれど、実際に物語が緊迫感を持ちうるのは、復讐の相手を捕らえるまでというよりは、その後の極私的裁判のシーンからといっていい。ここで現れるのは、クムジャだけでなく、自分の愛する子供たちを奪われた肉親たちの残酷なまでの復讐心だ。

このシーンの恐ろしさは、被害者家族を集めその殺害される様子を見せる、あるいはその極私的(欠席)裁判の様子を拘束されたままのペクに「音」だけで聞かせる(想像力のよって恐怖と不安を倍化させる)といったこともあるけれど、何よりもそこで交わされる会話と制裁の様子だろう。

ここでは残された遺族たちに選択肢が示される。1つは合法的に裁くというもの、もう1つは直接「復讐する」機会を与えるというものだ。多くの家族は自ら復讐することを望む。しかしそうでないものがいたとしても、その他のメンバーはそれを強要する。「多数者の専制」状態だ。

しかもここでは1つの恍惚とでも呼べばいいのか、「復讐心」をむき出しにどんどん過激化していく。その一方で他者の裏切りについて不安と恐れを口にする。赤信号みんなで渡れば怖くない。だからお前も渡るんだ。裏切りは許さない…

挙句の果ては、「共犯」という仲間意識が生み出したのか、裏切りを防ぐための予防線なのか、みんなで仲良く写真をとる始末だ。ここには「ヒューマニズム」は消滅している。

結果的に、復讐は何も満たしてはくれず、彼女を救ってくれるのは「娘」との愛情でしかないわけだけれど、こうした状況は現在の日本でも当てはまるのではないのだろうか。


少なからず「戦後民主主義」的な教育観に影響を受けてきたことは先に認めるとして、しかし、人間が決してきれいごとだけですむ存在ではないこと十分理解しているし、楽天的な性善説にたっているわけでもない。

とはいえ、激化の一途をたどる刑事罰の強化や死刑積極論にはやはり抵抗がある。更生の可能性を否定し(低く見積もり)、「やられたらやり返せ」「目には目を」的な風潮や「(社会に)必要のないものは消してしまえ」「臭いものには蓋をしろ」的な風潮というのは、そもそも何か違うのではと感じてしまう。

例えば山口県光市の母子殺害事件の遺族である本村洋さんの発言は、被害者としての心情としては当然のものと理解しつつも、その表情は「無念だから」といったものを差し引いたとしても「幸せ」とはほど遠いものにしか感じないのは僕だけだろうか。

クムジャやその他の遺族たちが、ペクに復讐を遂げたとして、彼らには何が残ったのだろう。

本来、そのようなときにこそ、「愛情」「許し」「寛容さ」、そういったものこそ必要なのではないだろうか。


【評価】
総合:★★★☆☆
イ・ヨンエの表情がなかなか:★★★★☆
激情的だから復讐ものが流行るのか?!:★★★★☆

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