ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

それからの夏-新宿梁山泊が露呈した「劇団」という社会の限界

2007年08月05日 | 演劇
近代社会である以上、どちらが正しいかと聞かれれば脚本家・鄭義信の訴えの方が正しいことは間違いないだろう。分業制度が確立したテレビや権利ビジネスとしての意識の高い映画産業などからすると、こんなことがそもそも起こりうることが信じられないかもしれない。しかし「芝居」とはそもそもそんな世界だったのか。座付き作家が1つの作品(脚本)を生み出すということは、果たして「彼」独りで生み出したものだったのか。あまり注目もされない2つのニュースから。

「芝居を無断で上演」作者が新宿梁山泊に差し止め申請

鄭義信さん、劇団「新宿梁山泊」と和解…8月は上演中止


そもそもの発端は、劇団「新宿梁山泊」が結成20周年作品として、8/1よりかって座付作家だった鄭義信の戯曲「それからの夏」を「それからの夏2007」として上演しようとしたこと。これに対して鄭義信さんは、「95年に退団した後、梁山泊は鄭さんの作品を3回無断で上演。改変なども行ったため、99年に「今後上演を許可しない」と通達」しており、作者に無断で上演することは著作権侵害にあたるとして、上演差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請した。

結局、「「上演権の所在が裁判で明らかになるまで作品を上演しない」という条件で両者間で和解が成立。今後、新宿梁山泊は、同作品を含む鄭氏の作品について、上演許諾を受けていることの確認を求める訴訟を起こす」とのこと。8/1の公演はとりあえず中止となった。

この新宿梁山泊という劇団は、野田秀樹(夢の遊眠社)や鴻上尚史(第三舞台)らが活躍していた「言葉遊び」の時代を受けて、「物語(ロマン)の復権」を求めて活動してきた劇団で個人的には最も好きだったアングラ劇団。役者も皆個性的で、六平直政や近童弐吉、黒沼弘己、金久美子に近藤結宥花、村松恭子、三浦伸子などいずれも圧倒的なパワーをもっていて、この劇団で芝居の魅力に取り付かれたといってもいい。

また鄭義信の脚本がなんとも素晴らしい。「千年の孤独」「人魚伝説」「映像都市(チネチッタ)」などなど。切なさ、郷愁、儚さ。生きることは決して楽しいことばかりだけではない。「それでも生きていかなあかんのや」そんなメッセージに溢れている。

今回、問題となった「それからの夏」は、上記3作品ほどメジャーではないものの、僕の中ではもっとも衝撃的だった作品のひとつ。役者の圧倒的なパワーとそれを引き出す演出の前では、「言葉」など無意味でしかない。何も「愛」や「憎しみ」やそういった言葉で分化されない「情念」を伝えるために必要なのは「物語」でも「言葉」でもなく、ただ「在る」ことなのだと。

そういった思いもあり、今回の再演は(金久美子は故人となり、役者陣は替わってしまったけれど)非常に楽しみにしていたのだけれど、急遽こんな事態になってしまった。

差し止め請求を行った際の両者の言い分を見てもらうと、違和感を覚える人も多いだろう。
座付作家だったとはいえ、脚本家者が自作の作品を無断で上演されることを「著作権の侵害」とするのはともかく、それに対して新宿梁山泊の代表・金守珍さんが、「彼の作品だが、劇団員みんなで作り上げたもの」「作品の著作権は作家だけの権利なのか」と発言を行っているのだ。

普通に考えれば、脚本家に著作権があるのが当たり前であり、金守珍氏の発言は明らかに著作権を理解していないと思えるだろうが、これが「劇団」という特殊性を考えると必ずしも的を得ていないわけではない。

ある作家が自身で作品の構想をたてて「脚本」を作り上げ、それをどこかの劇団が「芝居」として演劇作品にするというのであれば、こんな問題は起らないだろうが、ことは濃密な時間を共有する「劇団」であり、座付作家の「脚本」である。構想段階や登場人物の設定、あるいは具体的な台詞や物語の展開の隅々にまで劇団(員)との関わりがあったであろうし、あるいは「脚本」としての完成までの間には、演出家からの要請や稽古場でのやりとりによって変更が加えられているかもしれない。(実際にはオリジナル作品の芝居を作ったことがある人なら分かると思うが、先に脚本が完成しており、それから稽古がスタートすることなど「稀」なのだ)

だとする、脚本を作り上げたのは果たして脚本家だけなのだろうか。

この想いが金守珍氏の中にはあるのだろう。

事実、新宿梁山泊のHPで公園記録を見ると、「千年の孤独」だけでオリジナルに加え「1989年版」、「テント版」、「最終決定版」がある。単に役者が変わっているだけかもしれないし、あるいは台詞や物語の厚みや展開が変わっているのかもしれないし、それが脚本家の指示かもしれなければ演出家の指示かもしれない。

「芝居」というものが常に時代の変化中で新しいメッセージを模索し続けるものであり、、また座付作家としてその劇団のために作品を書いていたのだとしたら、著作権は作家のもので劇団は上演権を得ているだけだといった「正しい」解釈がどこまで妥当なのだろうか。

著作権がそもそも作品を生み出した人に対しての権利だとして、芝居の場合、1つの脚本が生み出されるためには、劇団演出家、劇団員の存在なしには語れない。

正直、「劇団」という現代社会の枠からずれてしまっている「組織体」にとって、こういう近代社会システム適用させることが悲劇なのではないか。

もちろん鄭義信側の言い分は全うなものだし、2ちゃんねるあたりを検索してもらえば、新宿梁山泊という劇団自体が抱えている問題、金守珍に対する批判なども多々ありそちらを擁護する気もない。

ただそもそも劇団なんてほとんどが赤字垂れ流しでやっているのが多いわけで、それでも続けているのはただ「表現者」でありたい、よりいい芝居を作りたい、観客を感動させたい…そんな想いからのはず。

今回の和解を経て、おそらく公演の実現のためには上演権についての金銭的なやりとりや改編についての決め事が新宿梁山泊側と鄭義信側とで結ばれることになるのだろう。このことそのものは社会システムの中では当たり前の行為だ。

しかしこのことがこの新宿梁山泊という劇団で行われることは、既に「物語(ロマン)の復権」という旗印だけでは、あるいは「表現者」でありうることの誇りだけでは立ち行かなくなった演劇の現実があるのだろう。全てはもう資本主義にスポイルされてしまうのだ。

新宿梁山泊の公式ホームページ


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